2025年8月4日月曜日

盛夏の尾瀬にトンボを求めて

 小淵沢田代へ

 8月3日に尾瀬の入り口にある小淵沢田代へ行きました。福島県側の入り口である大江湿原の途中から東に分岐する登山道があり、この先に目指す小淵沢田代があります。標高は1,800mです。昨年、確か10日前後に登ったところ湿原中唯一の大きな池塘にオオルリボシヤンマが多数いて、乱戦騒ぎを起こしていた記憶がありました。例のオオルリボシヤンマの観察で、郡山市の観察地は両側が杉林に囲まれ、言わゆる閉鎖的環境でした。それでは反対に開放的環境ではどうなのか?そこでこの湿原が頭に浮かびました。縄張りはどのように維持され、ライバルはどのような行動を示すのか?
                                                                                       
                                                                 小淵沢田代(湿原)には 大江湿原の中ほどから東に分岐して進む
 
 湿原までは一ケ所も下りのない約2kmの登りで、すでに沼山峠を越えてきているオンボロ脚にはかなり応えました。この湿原はなだらかな丘状の地形で湿原手前に池があるほかは東の端と北側に多少開放水面のある池塘がちらほらとあります。湿原自体はミズゴケの高層湿原になっていて、乾燥化が進んでいます。
                   
          標高約1,810mにある小淵沢湿原中最大の池塘、でオオルリボシヤンマの生息地
                    
              反対側(東)を望む. 一面草原状態で樹林に接する場所に小さな池塘が点在する

 現地には8:20に着きました。湿原に敷かれた木道を端まで歩いてみました。湿原の端にわずかな水溜まりがあって、ルリボシヤンマの♂が縄張りを張っています。水溜まりに目を落とすと3頭の♀が羽化していました。一方、産卵していたのでしょう、成熟した雌が草むらから飛び出していきました。オオルリボシもそうですが、このルリボシも♂♀の相当の性成熟期間にズレがありそうですね。

            羽化した♀, 左下に水面に落下してカヤツリグサにつかまる♀が見える

 さて、先ほどの大きな池塘へ引き返します。どれどれオオルリボシヤンマはいるかなあ、と見回してみますが、1頭の♂しか飛んでいません。時期が少し早かったのでしょうか。しかし、それにしてもほとんどトンボがいません。もちろんアキアカネは無数にいるのですが。前に訪れた時にはエゾイトトンボやカオジロトンボさらにアオイトトンボが多数いたのですが、どこに行ったのでしょう。わずかにカオジロトンボは2♂、アオイトトンボは1♂しか見れませんでした。おかしい。何かおかしな感じがします。一方、何とショウジョウトンボが複数活動していて、優占種のよう他のトンボを追い払っています。ここは標高1,800mです。と、ショウジョウトンボが交尾しました、カメラを向けているといっこうに離れず、そのまま連結したまま、産卵を始めました。へー!こんなこともあるのかと、いや、いや、待てよ、これはネキトンボじゃ!ネキトンボが複数、産卵しているではありませんか!尾瀬や尾瀬周辺でネキトンボはポツポツと記録があるのですが、単なる飛来種かと思っていましたが、産卵まで行っていたとは!
 
               池塘の岸部に定位するネキトンボ、いいんですかねー、こんなのたくさんいて

 一方本命のオオルリボシヤンマは広い水面の全てを支配しているように、空域に侵入するアキアカネを蹴散らしつづけます。午前中♀の飛来は2回あって、そのうち1回のみ産卵がありました。産卵に飛来した♀は瞬時に♂の接触を受け、♂はピッタリと張り付いて離れません。ここからが今回この湿原に来た最大の目的なのですが、加納一信さんは産卵が終わって飛び去る♀を♂が追いかけ、湿原内で確保しタンデム状態になって森に飛び去ると報告しています。開放的環境では見通しが効くため、そういうことが確認できたのか確かめたかったのです。♀を追った♂が交尾するのかと。
                     
                                                                                              
               ♀にひっついて離れない♂と全然相手にしない♀
                     
            全く関心を示さない♀に愛想をつかしてきびすを返す♂
                     
             ♂がいなくなりせいせいして産卵に集中する♀

 今回観察は1例のみでしたが、産卵が始まると♂はこれまでの観察と同じく、興味を失って♀から離れ、再び縄張り飛翔に移ることが観察できました。産卵終了まで張り付くようには見えませんでした。一方、産卵はしませんでしたが、池塘のわきを飛び去る♀(比較的ゆっくりと飛んだ)を縄張り飛翔していた♂が瞬時に後を追い湿原のかなたに飛び去るのを観察しました。その後、2時間以上(私が引き上げるまで)この池塘には♂が不在でした。
 この視界から消えるほど♀を追っていった縄張り♂はその先で交尾したのでしょうか?分かりませんが、すぐ引き返してこなかったところを見ると、あるいは交尾したのかも知れません。いずれにせよ、この湿原での観察はまだ早かったようです。♂が多数飛来して来るころまた来てみようと思います。
 気になった事があります。それはどうして標高の高い発生地ほど成虫の出現が早まるのでしょう。郡山の観察地ではようやく♂が戻り始めた時期で、♀の産卵はあと7~10日後です。20日ほど早まっているのではないでしょうか?おそらく、幼虫は複数年を経て最終年の冬は終齢で越冬しているのかなーと思います。確かヨーロッパのルリボシヤンマではそんなことが報告されていたように思います。
 













2025年7月19日土曜日

福島県のホソミモリトンボ Somatochrola arctica

 本当に尾瀬に生息しているのか?
 福島県におけるホソミモリトンボは、1956年に尾瀬沼で安藤尚氏によって採集されたのが最初で(昆蟲, 24: 18 )、続いて宮川幸三氏が1958年に尾瀬沼東岸で記録しています (新昆虫, 11: 35 )。また、同年丸山彰氏が燧ヶ岳 (新昆虫, 11: 37 )で、さらに 1981 および1990年に星一彰氏が共に燧ヶ岳からの目撃例を報じています( 月刊むし, 12: 21-23; 福島生物, 33: 26-27 )。現在、尾瀬の福島県側からの成虫の記録はこれが全てで、それ以後の追加記録はありませんでした。なお安藤氏の採集したホソミモリトンボの標本は筑波の科博にある朝比奈コレクションの中に大切に保管されています(写真下)。
 近年、福島県側ではレッドデータ関連で新たに調査をおこなったものの、成果は得られませんでした。私も数回、尾瀬および周辺でホソミモリトンボの探索を行いましたが、その痕跡すらをも見出すことが出来ませんでした。正直、本当に今でも生息しているのか?そんな思いが年々強くなっていました。
 ところが、ここに彗星のように現れた青年がいました、太田祥作さんがその人です。太田さんは只見町ブナセンターの職員として激務をこなしながらも尾瀬にせっせと通い、その驚くべき忍耐強さを発揮して、ついに尾瀬におけるホソミモリトンボの羽化場所を突き止め、現在でも尾瀬沼周辺に広く生息していることを明らかにしたのでした( TOMBO,  62: 116-122 )。
                    
            福島県産を示す数少ないホソミモリトンボの標本(科博蔵)
 
 さあこうなると、成虫はどこで活動しているのかが問題になってきます。度重なる調査でもその影すらも拝めていませんから。私も太田さんの発見後、2度ほど成虫の姿を確認するために尾瀬を訪れましたが、相変わらず何も得られませんでした。成虫は羽化後どこに飛んで行ってしまうのか?全くもって不思議な話です。

尾瀬決戦を前に下調べ
 かつて長野県の生息地でこのトンボを探した時はこんなに苦労せずに出会えたのですが、尾瀬では何か見当違いな場所をさがしていたのではと思えてきました。そこで尾瀬に再挑戦する前にもう一度このトンボの生息地の環境と生態を見ておきたいと、あらためて本年7月に既産地を訪ねてみました。以下はその時の状況です。

 現地には早朝に到着しましたが、気温が低く午前9時前になって、ようやく♂が複数いきなり湿地の上を飛び始めました。午前中、飛び方はかなり広範囲(20-30m四方)を高さ1m前後で緩やかに飛び回り、なかなかホバリングしてくれません。そのうち♀が産卵に飛来し始めました。♀は小さな水溜まりに高速で飛来すると、一瞬せわしく周辺を飛び回った後に、いきなり草が密生した場所に潜り込み、わずかに水面が見えるような狭い場所に産卵を始めます。飛来した♀を良く観察すると、適当な水域を探し当てるまで、次々と小さな水溜まりに降り立って好みに合う場所を探します。このために草丈が30-50cmぐらいのスゲ科植物の草丈すれすれを飛びながら次々に小さな水溜まりに降りて確かめては再び舞い上がる独特の飛び方をします。産卵は草が覆いかぶさる様な10-20cm四方の小さな水溜まりに降り立ち、打水産卵を行いますが、一ケ所での産卵時間は短く、次々に産卵場所を変えて産卵します。また産卵場所はいずれもスゲ、カヤツリグサ類が覆いかぶさるよう密生していて、飛翔に支障をきたす場合が多く、良く産卵中に草に止まって休息する姿を目にします。尾端を水の中に入れたままの状態もあって、この場合産卵しているかも知れません。
 水溜まりの水深は非常に浅く、これらの水源は雨水が大部分であると考えられ、気象条件によっては容易に乾燥が進み、水溜まりは消失する場合があると思われました。湿原として現在は、ほとんどが中間湿原で乾燥と植物遺体の堆積が進み陸地化して行く部分と、一部の地下水位が高い場所はミズゴケによる高層湿原化していく過程にあるものと思います。
                     
                 スゲ類の遺体の堆積で未発達ながら谷地坊主状のものが無数に見られる
                        
                谷地坊主状のスゲ群落の間に水溜まりが出来て、ここが産卵域となる
                        
                           同上、水溜まりにはカヤツリグサ類が繁茂する

               100mmマクロしか持っていかなかった、失敗!
                         
                                                                                  300mmをよりによって忘れるとは!
                         
                                                               20年ぶりのホソミモリトンボ、はたして尾瀬で出会えるか
                         
                                   いるいる、産卵している!
                       
                         こんなにイネ科植物が密生していて翅は痛まないのか?
                        
                        とにかく見にくい。焦点が合わない!
                   
                   
                    産卵時に全身を捉えることは困難だ!
                    
                   別個体の産卵
      
              産卵は体力の消耗が大きい、時々産卵中に草に止まって休む
 
 午前中に交尾は2回観察しました。産卵に飛来した♀(♀が自ら交尾を目的に飛来しているのかは不明)はオスに確保されてリング状になって湿地内を2mほどの高さでゆっくりと飛び回り、やがてカラマツの枝に止まり、交尾を続けました。しかし、意外と神経質で静止してから2、3分で移動してしまいました。以前塩尻市の生息地では湿地内の灌木は背が高くなく、目の高さに交尾ペアが止まることが多かったのですが、ここはカラマツが4mほどの高さがあって、結構高い位置に止まるようでした。午後1回交尾を観察しましたが、これも3m以上高い場所に止まりました。交尾は35分継続しました。
                
             何とか撮れた交尾、このペアは数枚シャッターを切った直後に飛び去ってしまった

 今回、あらためてホソミモリトンボの生息地を見てきて、また、これまでの経験から、本種の生息環境を考えると、いわゆる大小多数の池塘が見られるような高層湿原には生息せず、かなり草丈のあるスゲ類が密生して、その生え際には小さな水溜まりがいたるところに点在するような中間湿原(場合によっては低層湿原的要素の多い湿地も)が生息地になると言えます。この点についてはすでに曽根原今人さん(Tombo, 28:23-30)や吉田雅澄さん(Aeschna, 30:11-16) が長野県の産地における生息地の環境を詳細に報告されています。
 どうも私はこれまで尾瀬では少し環境的に本種の生息に適さない場所(より高層湿原を重点に探したかも)を探していたかもしれません。
 ともあれ予定している尾瀬のホソミモリトンボ成虫の探索は逆に言えば、明るく解放的な中間湿原を探せば何らかの成果が出るかも知れません。

いざ決戦、出陣!
 7月下旬、いよいよ尾瀬へ、と言っても今回は尾瀬ヶ原ではなく尾瀬沼一帯の探索です。尾瀬へのルートは何本かあるのですが、福島側からだと桧枝岐村御池から沼山峠へのルートとなります。一般車は御池の駐車場において、そこからシャトルバスで20分ぐらいで沼山峠登山口に着きます。ここから尾瀬沼までは40~60分です。
                     
                       尾瀬地区の入り口に設けられたシカの侵入阻止ゲート
                   
                     ゲートを抜ければ目前に大江湿原がひろがる

 大江湿原中ほどに太田さんが羽化を見つけた地点があります。はたして水溜まりはあるのだろうか。期待が高まります。時間はまだ7時半をまわったところですから、まだホソミモリトンボは出てこないはずです。この時期はニッコウキスゲの時期は終わっているのですが観光客が非常に多く、特に夏休みのサマースクールで尾瀬を訪れている中学、小学生のグループと頻繁に行き会いました。
 さて、発生地ですが、残念ながら写真の通りスゲ原が広がってはいますが、全く水溜まりがありません。太田さんによると昨年は羽化が確認できなかったそうです。やはり、ミズゴケが発達した湿地では多少の雨で水溜まりは出来ず、安定的に♀が飛来して産卵はおこなわないのだと思いました。かつては一面、水溜まりがあって、産卵や繁殖に適した中間湿原的な様相を呈した大江湿原だったのでしょうが、今日、湿地の多くの地域は高層湿原に代わり、じょじょに乾燥化していて本種の生息には不適になっているに違いありません。こう考えると、ホソミモリトンボはいずれ尾瀬沼周辺から居なくなってしまうかも知れませんね
                    
           水溜まりが全く無い大江湿原、年々ミズゴケの厚さとスゲの遺体の堆積が増えている
 
 大江湿原が今年もこの時期に乾燥していたことは本当にショックです。またおなじことの繰り返しになるんじゃないかと不安になってきます。今回は尾瀬沼をとりあえず一周してみて、この目で中間湿原はあるのか確認してみるつもりでしたが、のっけからこれだと、、、、。尾瀬沼の北端で右に折れて沼尻へ向かいます。道中はオオシラビソの樹林帯の中を軽いアップダウンを伴って進みます。何か所か湿地を横切りますがパッとしません。多分生息はしていまいと、ならば過去の記録はどこで得たものなのだろうと考えている内に沼尻に到着しました。分岐から約30分です。この先は延々と下って尾瀬ヶ原に至ります。私は左に折れ湖を周回します。
                   
                    途中の景色、良いところなんですがねー
                    
                    沼尻の湿地、いわゆる池塘が連なります

 沼尻に来ると、ようやく尾瀬特有のトンボが見れれるようになります。カオジロトンボを始め、ムツアカネさらに数は少ないのですがルリイトトンボも運が良ければ見ることができます。ここのカオジロトンボは非常に小型で、今の時期が繁殖盛期となっています。一方ムツアカネは羽化時期です。この一帯の湿地は完全な高層湿原でホソミモリトンボの成虫を見ることは難しいように思えました。ただ産卵はあるのかも知れません。♀は放浪性が高いですから。
                    
                   産卵に訪れたカオジロトンボの♀
                    
                       産卵飛翔する若い♀

                ♂を撮るの忘れたので、一昨年のもの、場所は同じ
                         
                     次々に羽化してくるムツアカネ

 尾瀬沼南岸にはそれらしい湿地は無く、どこに居るんだろうと、だんだん気が滅入ってきます。やはり今回もだめかと、足どりもじーさんのよう(実際ジジイだ!)に重くなってやっとの思いで尾瀬沼ヒュッテに到着です。これで尾瀬沼を一周したわけですが、ラオスで痛めた踵が痛みだし、こうなると踏んだり蹴ったりです。
 予報では昼から雷ですので、もうあきらめて帰るしかありません。脚を引きずるようにヒュッテを後にして、トボトボと再び木道を歩き始めた時の事です。ふと、右手の林縁に接している湿地の上をエゾトンボが飛んでいるのに気づきました。ややや!いたぞ、いたぞいたじゃねーか!幻を見ているような気分になりました。すぐにカメラで追いますが、動きが激しくて追いきれません。気が付けば複数個体がいるようです。そのうち2頭が争うのが目に入りました。ハッとしました。片方が小さいのです。というよりほっそりしているのです。改めて湿地の上を観察すると、最初に見つけた個体は林縁部に沿ってのみ縄張り飛翔していていました。一方の個体、これは少なくとも3頭いて、いずれも湿地の中央部のみで行動しているのが分かりました。こっちがホソミモリで、林縁部はエゾトンボでしょう。
 1頭の♂が目の前数十センチのところをゆっくりと「良ーく見とけ!」と言わんばかりに木道に沿って飛んで行きます。そのスマートでやや小柄な体型は、まさに夢にまで見た尾瀬のホソミモリトンボで、万感極まって思わず、得意の老人病の涙があふれてきました。しかし湿地内部で縄張り飛翔している個体は木道から約10m以上離れているためになかなか写真を撮ることが出来ません。そこで先に湿地の状態を確認してみました。
      
               エゾトンボが飛んでいた湿地の情景、右端の林縁部分
             
                   
                   ホソミモリの飛翔が見られた場所、中央部一帯で縄張り飛翔する
                         
                    小さな水溜まりが無数にあって、水位も高い
                        
                                同
   
                         
                                    産卵が見られた木道わきの景観

 上に示した写真のように、ここは水量が多い湿地で、ミズゴケの発達度はそう高くありません。スゲ類が優占種となっていて、またカヤツリグサが水面に密生しています。ミズバショウも混生していて、中間湿原というより低層湿原の雰囲気が強く感じられました。産卵に適した小さな水溜まりが無数にありました。
 一方2、3頭いる♂のホソミモリはなかなか近くまで寄ってこないため、多分福島県で最初になるであろう本種のシャープな写真は結局撮れませんでした。ところが、♂の写真を何とかと頑張ってると、いきなり♀が飛来してきて、よりによって木道わきの水溜まりに産卵を始めたではないですか!これは潜在何時遇のチャンスとばかり、しかし足元なのでレンズの操作につい手間どりバタバタと動いたせいか、♀はすぐに飛び去ってしましました。あー!おかげでこの写真もイマイチの出来となりました。
                  
                   
                    
         一番上はトリミングしたもの、全て同一個体(25/7/2025、尾瀬沼ヒュッテ付近)
                         
        ホソミモリトンボの産卵(トリミング)、トレードマークの腹部側面のオレンジ紋が見える
                        
         打水産卵した瞬間、上からではさまにならない
(25/7/2025、尾瀬沼ヒュッテ付近)

 今回もだめかと完全にあきらめていたところ、自分としては満塁逆転ホームランを打ったような満足感を得ることが出来ました。30年前に初めてホソミモリトンボを求めて尾瀬に来て以来、毎回収穫はゼロ。ここでようやく福島県産トンボで最も難攻不落の座を誇っていた本種の写真と生態の知見を得ることができたことは本当に奇跡のようです。これも尾瀬で確実に現在でも生息していることを知らしめてくれた、若い太田祥作さんのおかげに他なりません。
 ですが、今回をも含め、尾瀬沼周辺部で確実に本種の生殖行動を見ることができるのは1ケ所にすぎないと言うことは、たとえそれが湿原の止めることができない変遷の結果であるにせよ、近い将来このトンボが姿を消してしまうような気がしてなりません。木道からまだうかがい知ることができない地域にまだまだ多くの隠れた生息地があることを願いたいと思います。

 

 











2025年6月23日月曜日

いつの間にかサラサ Sarasaeschna pryeri の季節

 ムカシトンボを追いかけている内にいつの間にかサラサヤンマの季節になってしまいました。そこで久しぶりにサラサヤンマを撮りに出かけてみました。撮影地は車で15分の、とある溜池の上流にあるハンノキ林です。
                    
                    明るい林床
   
                  ドクダミが群落を作る
 縄張り
 このトンボは湿地内のどこにでも♂が縄張りを張ることはなく、林床の湿性植物が繁茂した場所ではなく、雨が降ると浅い水溜まりになり、乾燥時には少し濡れた地面が見えるようなせいぜい1~2m四方の湿性植物がまばらな狭い範囲に好んで縄張りをつくるようです。ですから生息地の湿地で縄張りを張る場所は限られ、今回訪れたハンノキ林では8ヵ所の縄張りが確認されました。言い替えれば縄張りを持てる♂は8頭を大きく超えることはないということで、この縄張りを目指して、毎日新規侵入♂が飛来して先住♂とバトルを繰り返すのです。朝、最初に縄張りを維持する先住者が飛来して、細い植物の茎や落ちた樹木の小枝に止まって♀を待ちます。止まる位置は地面から20cmぐらいが多いようです。不用意に近づくとパッと飛び上がり、その時の驚き具合もあるのですが、だいたい周囲をホバリングを交えながら飛び回りすぐに戻って来て、また同じ様な位置に止まります。ムカシヤンマもそうですが、このトンボもすぐに止まりたがります。縄張り内を頻繁にホバリンング飛翔して侵入者を警戒することは無いのではないかと思います。多くの飛翔(ホバリング)写真は撮影者に驚いて飛び上がって、また縄張り内に戻って静止する間に撮られたものだと思います。基本的に止まって♀を待つヤンマではないでしょうか。
 縄張り♂の先住効果は高く、観察した限りで、縄張り♂は侵入者を全て排除しました(観察した先住♂は翅にわずかに羽化不全の箇所があってすぐに見分けがつきました)。排除された♂は湿地の外の林道や草原の開けた場所で縄張りを作ったりすることが多く、そうした場所では1mほどの高さをホバリングを交え、割に広めの空域を緩やかに往復あるいは旋回飛翔することが多いように思います。しかし、これらの♂に全く交尾機会が無いとは言えず、産卵を終えて出てきた♀(多分)を確保するのを目撃したことがあります。配偶行動全般の詳しい観察の報告は武藤 (1958, TOMBO 1 (2/3): 12-17)ぐらいしかありません。
 サラサヤンマは慣れて来ると警戒心がなくなるのでマーキングは簡単に出来そうです。個体識別して生態を調べれば、いろいろな事が分かり面白そうだと思いました。植物に止まって待ち伏せする縄張りはヤンマ類の中では他にあったでしょうか?この生態はサナエトンボに近く、分類学的にも面白いと思います。
                      
      
縄張り内にある地上 20cm ほどの高さの小枝に静止する♂、休んでいるのではなく、警戒中
            
                    同、待ち伏せ中  
  
                     

                    
     これらは全て、侵入者(筆者)を感知して飛び立った時の飛翔、ホバリングするから撮影しやすい
                           


 ♀の飛来と交尾
 交尾は数例観察できました。まずガサッという音で待機中の縄張り♂が♀を捕えたことが分かります。草むらから飛び出した2頭はタンデム状態になって縄張り内を高さ1m ぐらいで緩やかに旋回し、その間に♂は移精します。さらに旋回が何回かつづいて最後は交尾してすぐに樹上に上がります。交尾継続時間は計測していませんが、「日本のトンボ」では30分とありました。
 ♀は自ら縄張りを訪れて交尾するように見えます。産卵を目的とはせずに、交尾をするために飛来しているように思います。多くのトンボは♂の縄張り内を飛んで、積極的に♂に捕まり交尾しているのではないでしょうか。サラサヤンマの場合も飛翔は産卵時の緩やかで産卵場所を探す飛翔ではなく、いきなりサッと飛来してくることからもその可能性は高いと思います。
                      
                      
                
   ♀を捕えて縄張り内を飛び回り、最後はリング状になって樹上へ
             
 産卵
 産卵は縄張り以外の場所で行うことも多いように思います。もちろん縄張り内で産卵を行いますが、この場合、♂が縄張りを空けている昼当たりに飛来する♀が多いようです。また、産卵と縄張り活動の日内時間との関係は発生期間の早晩で変わってくるように思います。  
 一般に産卵は縄張り以外だと湿地内の低灌木が密生した中に潜り込んでその表土におこなったり、倒木やその周辺、湿性植物が密生した場所、なかには湿地内部を流れる細流脇の泥など産卵場所は多様です。この場所ではありませんでしたが、湿地周辺部のブッシュの中や林道のぬかるみや、湿地に隣接する水田の畦などでも観察したことがあります。産卵場所については前述した武藤 (1958) にも詳しく出ています。
                     
       
                    
                                                                                       
            ハンノキ林の住人ミドリシジミ、最近はあまり見かけなくなった
      
 産卵に飛来した♀は地上すれすれにフワフワとホバリング気味にゆっくりと飛翔し、密生する林床の草ぐさの中に降り立ち、産卵できるか産卵管で探ります。泥濘の部分に執着しますが、中に朽木が埋もれていたりしない限り、落ち付かず移動を繰り返します。観察に通う日が多くなると湿地内部に私が歩く小道が出来てしまいます。♀はどういうわけか、この小道に飛来して産卵を行う事が増えてきます。6月27日は前日までの激しい雨が上がり朝から晴れて、観察には絶好と、いそいそと観察地に出かけました。ところが、8ヵ所あった縄張りに♂は1頭しかいません。そのうち来るだろうと待っていましたが、とうとう終日(16:30まで)♂は姿を現しませんでした。♀はお昼前後に数頭と16:00に1頭が産卵に来ました。急に数が減りました。そう言えば♂の翅は大分痛んでいましたっけ。いよいよここのサラサも終わりかな?
                    
                     

                     
       林床植物が繁茂する場所に降りたらアウト, 産卵管はほぼ見えない朽木に降りてくれ!



盛夏の尾瀬にトンボを求めて

  小淵沢田代へ  8月3日に尾瀬の入り口にある小淵沢田代へ行きました。福島県側の入り口である大江湿原の途中から東に分岐する登山道があり、この先に目指す小淵沢田代があります。標高は1,800mです。昨年、確か10日前後に登ったところ湿原中唯一の大きな池塘にオオルリボシヤンマが多数...