2023年5月26日金曜日

浜通りのムカシトンボの観察 3 (オスのパトロールなど)

なかなかうまくいかない生態観察
 トンボでもチョウでも昆虫類の野外観察は、その日の気象条件に大きく左右されることが多く、思う様にはいきません。特にこのムカシトンボの発生時期は福島県浜通り地方の場合、低温の日が続いたり、かと思うと真夏日になったりと、非常に気象の変動が大きい時期です。したがって、ある日に集めたデータはムカシトンボの発生時期の全般を代表とするものとはとてもいえないことを、実際に観察していて痛感せざるを得ません。以下にその実例を挙げていきたいと思います。
 ムカシトンボの場合、極めて多くの同好者が多種多様の観察事例を持っているでしょう。しかし、生態的に極めて重要なことがらにも関わらず、ほとんどは個人的な断片的知見として発表されずに終わっているのではないでしょうか。

メスの産卵における学習
 あるトンボのスライド会で、ムカシトンボの写真の達人Kさんからこんな話を聞きました。ムカシトンボのメスは若い時に産卵対象を学習して識別するようになると。学習..?ですか..。と、まあその時は半信半疑でいたのですが、今年の観察で、最初に産卵が確認された日から数日後に複数のメスが明らかに産卵対象を探っているような偽産卵行動を示すのを目にしました。
 1例を示すと、メスは渓流の岸に生えているウワバミソウを覗き込む様にゆっくりと飛翔し、時々止まっては産卵管を茎に刺しているように見えました。しかし、産卵は行わずすぐに離れ、今度は直径が0.5cmぐらいのコクサギの幹に取付き産卵管を刺そうとしましたが、それは無理。すぐに離れ、近くのジャゴケに降り立ち、今度は産卵するかと見守りました。しかし、産卵管を刺すしぐさは見られましたが産卵はせず、また岸辺の植物の間を覗き込みながら飛翔、なんと枯れたサワアジサイの茎に止まって産卵管を突き立てました。ここは手ごたえがあったのか、10秒ぐらいとどまっていましたが、やがて飛び去って行きました。
 こうした行動は、この渓流で初めて産卵が確認されてから数日間に見られた行動で、それ以降は観察できません(5月25日に同様な行動を示すメスがいましたので、採集して確かめたところ初々しいぐらい若いメスでした)。このことを得意になって知人に話すと、「そんなの知ってるよ」って、結構見ている人は多いことが分かり、なーんだみんな知っているのかと少々意気消沈しました。Kさんはその後、「昆虫と自然」にこのことを書いておられます(昆虫と自然、2008年、Vol. 43、14-19.)。
 しかし、良く考えてみれば、この産卵前(?)の習性は生物学的に非常に重要なことではないかと思います。Kさんの言った通り、短時間のうちにムカシトンボは本能的に畦畔の植物を手あたり次第に産卵可能か否かを探って、最終的に産卵して良い植物を自ら選択するようになる。産卵できないものを覚え、できるものを記憶して決して間違わなくなる。これって正に学習ですよね。

オスの探雌行動
 (1)縄張りについて
 本種に縄張りがあるか?これは意見の分かれるところでしょう。縄張りとは特定のオスが一定の場所を排他的にこれを占有し、先住効果が見られるとされます。ムカシトンボの縄張り飛翔(仮にそう呼びます)は小さな落ち込みや、水深がほとんどない流れの上に見られることが多く、広くて2m、せいぜい1m四方をホバリングをしながら飛翔します。しかし、この行動は必ずしも縄張りの定義に合致しない部分があります。つまり、ムカシトンボの縄張り行動は決まった場所でいつも確実に見れるとは限らないこと、見られても一過性で、継続して観察できないこと。さらに縄張り飛翔と考えられるホバリングを交えた飛翔時間が短いこと、縄張りと考えられる場所での闘争は激しいが先住効果が発揮されているか分からない点です(福島県の場合)。また、縄張りの主たる目的でもあるメスとの出会いは、ほとんど見たことはありません。では何のための縄張りかという問題です。ただ、闘争は目では追いきれないため、ここはビデオでの記録解析がぜひ必要だと思います。特に、闘争場面では先住オスが勝つのか、侵入オスが勝つのか?あるいはメスが混じっていないかなどが明らかになれば面白いと思います。
                   
                  小さな落ち込みでホバリングを続けるオス
 
 (2) 気温によって変わる探雌飛翔パターン
   オスが流れに沿ってホバリングを交え、ゆっくりとウワバミソウなどを覗きながら飛翔するのは典型的な本種の探雌行動です。この行動は当然、気温との関係が気になります。まずこれを調べてみたいと思います。


 繁殖期間を前後(最初に産卵が確認された日から7日間を前期、以後を後期としました)に分けて調べてみます。先に述べたように天候(晴れ・曇り、気温)によって行動が大きく制限されるため、まず晴れの条件で、気温が大きく異なる日を繁殖前期で見てみました。それが上の2つのグラフです。グラフ上がこの時期を代表する最高温度16℃程度の日、下がこの時期にしては気温が大変高い最高温度約26℃の日です。10℃も違います。
 まず上のグラフからです。5月16日、この日の朝は寒く、ジャンパーを羽織るほどでした。13℃を境に飛翔が抑えられると書きましたが、どうもこれを見るとそうでもなさそうです。13℃を越えたあたりが一番飛来数が多く、気温の低い午前中に集中して飛来していることが分かります。
 一方、5月18日、平地では夏日だった日はこの渓流でもどんどん気温が上昇し、11時には25℃を越えました。予想ではもっと早い時間帯にオスたちが飛んでくると考えていました。しかし、何と初飛来はずーと遅く11時となり、さらに14時以降に全体の8割近くの個体が飛んで来ました。どうも予想とは全く異なる結果となりました。
 このように温度条件が変わると全くオスの探雌行動が変わってしまうのです。この理由は何なんでしょう?良く分かりません。データがもっと必要なんでしょうね。

 (3) 繁殖時期の前期と後期で全く違う探雌飛翔パターン
 これまで同じ場所で観察を続けていると、どうも繁殖時期前半は探雌飛翔してくるオス(メスの産卵も)の個体数は多いのですが、すぐに飛来数が急激に減って来るような気がしていました。そこで、今年は時期を変えて飛翔する個体数を数えてみることにしました。気温によって1日の飛翔パターンが変わるぐらいですから、繁殖時期全般を通じても相当変化するのではと容易に想像がつきます。本当に繁殖時期前期に飛翔が集中するのでしょうか?
 結果を見てみると、5月21日の調査では総個体数は5月18日の半分となり大幅に減少しました。また、観察される個体も午後により集中することが分かりました。さらに5月25日になると、さらに個体数が減少しました。繁殖前期のものは(2)を見返してください。 
                   5月21日
             
                   5月25日
 このように繁殖期間後期になるにつれ、急激に探雌飛翔する個体数が減少することがわかりました。しかし、同時にこれは発生後期となり個体数がどんどん減っていくこと(死亡する個体が多くなる)とも関連があると思います。この件は何らかの方法で確かめることが必要でしょう。どうすればいいのかなあ。
 あと、この時期に飛来しているオスはやけに無警戒(繁殖期間前期でも最初は私を警戒するでもなく目の前で探雌飛翔したのが、日がたつにつれ手前で迂回したり上空に上がってしまう個体が増加しました。今回飛来した個体はその点、若いオスなのかと)で、色も鮮やかな気がします。もしかすると羽化が遅れた、つまりより標高の高い渓流で遅く羽化した若い個体なのかも知れません。もしそうなら、繁殖時期前期に飛んでいたベテランはすでにこの渓流からどこかに移動しているか、死に絶えている可能性が出てきます。

 以前、発生初期の午前中にたくさんの個体が渓流に見られたので、1週間後に友人を連れていったところほとんど見られず、どうしてだろうと不思議に思っていたことがありました。今回ようやくその理由が分かりました。当日はすでに行動パターンが初期とは全く変わっていて、午前中はほとんど飛ばなくなっていたことと、急激に個体数が減少していたことで、ほとんど見れなかったわけです。午後に行けば良かったのでしょう。納得しました。

つづく

 

                    








 
 














 

2023年5月15日月曜日

浜通りのムカシトンボの観察 2(温度の関係)

 成虫の活動(飛翔行動)

 「ムカシトンボの活動」といったらオスは探雌飛翔(行動)と交尾行動、メスは産卵対象物への飛翔と産卵そして交尾行動がまず頭に浮かびます。共通するのは摂食行動です。しかし福島県ではこれら個々の行動が実のところ何も分かっていないのです。最近、じっくりとこのトンボと向き合う様になってみて、これまで言われている本種の生態的な知見が、必ずしも当てはまらない部分があるように思うようになってきました。

 成虫の渓流における飛翔時期(すなわち成熟個体)にもかなりの幅が見られます。一般的に浜通り地方の阿武隈高地では 5月上旬~下旬。中通り地方の標高500~600m の奥羽山脈では5 月下旬~6 月下旬。吾妻山系の谷地平 (標高1400m)  では6月下旬~7月下旬。西吾妻西麓では発生が県内で最も遅く、7月下旬から8月下旬となっています。一方、会津地方の桧枝岐村では6月中旬~7月下旬で、その他はだいたい5月中旬~6月下旬が発生期となります。したがって、それぞれの地域のムカシトンボは時期的に異なる気象条件によってその飛翔行動が影響を受ける可能性が考えられるのです。

 今回はいわき市の渓流において、成熟虫の飛翔行動、すなわちオスの探雌行動、メスの産卵行動および林道での主に摂食と思われる飛翔行動の3つをみていきたいと思います。なお、今のところ、いずれの地域でも、近年の温暖化によって発生時期が早まる傾向は全く感じられません。日本各地の発生はどうなのでしょう。

林道上での飛翔
 渓流で羽化した個体はあまり間を置かないうちに、上流の開けた林道上で摂食を主にした飛翔を始めます。5月上旬は低温の日が多く、晴れていても気温が上らない日が続きます。これまでの観察ではそうした日でも大体14℃あたりが飛び始めかなとみていました。今年は実際に温度を測りながら1日の飛翔個体数の推移をしらべてみました(下図、拡大するとはっきり見えます)。
                     

 林道で始めて飛翔が観察できた日から7日を成熟前期それ以降を後期としてみます。成熟前期の5月11日の状況を見てみます。どうでしょう。思っていたより低温で飛び始めるようです。また、この時期だと昼前に活動が最大になり、13時以降はほとんど飛翔が見られなくなることが分かりました。なお、成熟後期の飛翔は観察していません。

気温と産卵行動
 次に気温と産卵行動について見てみます。いわき市三和町の生息地は好間川の支流で標高が550mあります。ここでは成虫の期間が4月中旬から5月下旬です。特に配偶行動が観察される期間は約1ヶ月で、この期間は浜通り地方特有の低温の日が多くなります。2020年の例で当地を見ますと、最高気温は下図のようになっています(現地に設置した自記記温計の記録から)。
                                                              
                気温を測定した源頭部の小さな流れ
                          
                      産卵対象を探すメス
                                                              

 これは産卵がおこなわれる源流の源頭部にあたる小さな流れで計測したもので、5月いっぱいの最高温度をグラフにしたものです。この時期は寒波が約1週間ごとに来て、気温が激しく
乱高下しているのが分かります。グラフの赤線は13℃あたりを指していて、この温度を境に晴れていても、それ以下だとほとんど飛ばないように思われました。もしそうなら5月繁殖期間の3日に1日(それ以上)は低温で飛ぶことができない状況であることが予想されます。そこで、この低温が実際に産卵行動にも影響しているかを見てみました。場合によってはもっと低温でも産卵行動を行っているかも知れません。
 この場所の主な産卵対象はウワバミソウです。そのほかジゴケやゼニゴケにも産卵が見られますが、コケへの産卵確認は不可能なので今回は省きました。下に日ごとのウワバミソウの産卵株数をグラフにしたものを示します(拡大して下さい。見やすくなります)。

      
 やはり、グラフから最高温度が13℃以下の低温の日になるとほとんど産卵しないことがわかりました。この地域ではこの時期特有の低温が直接、本種の産卵行動を抑制している可能性が考えられます。累積産卵率でみると、もし低温の日が無ければ、産卵期間の前半で総産卵株数の大半(80%)を占めたかも知れません。標本数が少ないのでこうだ、とははっきり言えませんが、ムカシトンボの産卵は産卵期間の初期に多くおこなわれるような気がします。

                  ホソバミズゼニゴケに産卵するメス
                                                                        
                                                  ウワバミソウに産卵する若いメス





   











2023年5月3日水曜日

浜通りのムカシトンボの観察 1 (羽化場所について)

 ムカシトンボの羽化場所について

   最近は、トンボの撮影だけでは物足りなさを強く感じるようになりました。毎年同じ様な写真がたまる一方、ほとんどそれをじっくり見返すこともなく、ただ良い写真が撮れたと、フォルダーにしまい込むだけ、まるで標本収集と変わらないような気がしてきました。一方、トンボをファインダーごしに見ていると、その行動に次々に疑問がわいてきます。しかもそれらの回答は図鑑や文献にもほとんど載っていません。こうして写真よりも「なぜ、どうして」というトンボ本来の生態面での興味が強くなってきました。
 ムカシトンボもその一つで、気になることがいろいろあります。その一つが羽化場所です。このトンボはかなり羽化場所が広域で(河川源流域から、かなり下流域例えば河川区分なら上流から中流に変わる当たりまで)、私が通ういわき市では確認できた羽化場所が上流から下流約2km、標高差が200m以上にもわたります。もっと下流域で羽化するかまだ確認していませんが、場合によってはもっと大きくなるかも知れません。当然同じ地域でも羽化時期は変わってくるでしょう。
 以前、桧原湖に注ぐ長井川では湖水に流入する地点で各齢期の幼虫を数頭確認したことがあります。当日、この場所には多数のアオサナエ♂が見られました。とても不思議に思いました。どうしてこんなに下流にいるのかと。果してムカシトンボは川を下るのか?
 源流域で最初に成虫の飛翔が見られる日には、同時に交尾も観察されます。しかし、この場所では羽化がまだ始まったばかりです。恐らく、飛翔している個体はずーと下流で10日以上も前に羽化したものと思われます。下流で羽化した個体はしだいに源流域に上がって来て成熟するのかも知れません。下流域で本種の飛翔を見たことはありません。そこで、終齢幼虫がどのくらい下流で見つかるのかは非常に興味があるところです。晩秋に確認しておきたいと思います。
                    
                 羽化したオス, いわき市 28/04/2023 iPhoneで撮影.
                                                    
          同じ個体, 大分体色がはっきりしてきた. iPhoneで撮影. 

 とりあえず羽化が見られた源流域と下流域(便宜上そう呼びます)の水温を現時点で測定してみました。産卵部である源頭部の水温は11.9℃で、この流れが本流に流れ込んだ場所は13.2℃、その2km下流は何と12.4℃と低くなっていました。恐らく、この渓流は鬱蒼とした杉林に川面を覆われて太陽による水温の上昇が抑えられていること、さらに支流からの流入が原因だと思われます。
 ムカシトンボの幼虫の生息と河川水温との関係は、田原鳴雄さんが熊本県下の生息地で測定しており、冬季が 4~5 ℃、夏季が 16~17 ℃であったとしています (TOMBO, 27: 27-31.) 。多くの図鑑類はこれを引用しているのだと思います。また、関東では大森武昭さんが多摩川水系において調査され、それによれば夏季水温でおおよそ14~16℃ の範囲内にあることが示されています( 大森武昭, 1998, 多摩川水系のムカシトンボの分布と生態, p1- 52, とうきゅう環境浄化財団)。
 ただ、河川水温の測定については、一般的に8月の水温が年内の最高温度を記録することが多く、しかも日内最高水温を示のは14~15時であることから、各地の生息地における水温の比較に際しては上述の条件で測定されたものかを確認する必要があります。特に源頭部から離れればはなれるほど水温は高くなりますから、そうした場所での測定時期、時間の不一致は信頼性の低下につながります。
                     
                水温と幼虫の生息の関係 
大森 (1998) より

 先に示した檜原湖に注ぐ河川での観察事例はまさにこの水温が関係しているものと思います。今季8月に遠征して確かめてこようと思います。生息可能な水温であれば幼虫は活発に下流に(場合によっては上流にも)移動する可能性があるかも知れません。

  でも、あそこはクマの巣窟だからな😓 。3年前に裏磐梯五色沼の環境省ビジターセンター裏の沼でトンボの写真を撮っている時、広い砂利道に停めてあった車に交換レンズを取りに戻った際に、運転席のドアに母熊と2頭の子熊が寄りかかっているところに鉢合わせしました。幸い逃げてくれたので、事なきを得ましたが、多くの観光客がビジターセンターを訪れ、車の往来も多い場所だけに驚きました。それ以来、常に熊よけスプレーを携行しています。しょっちゅう暴発して、そのたびに死ぬ思いをしているのですが.......

つづく
 
 

 








 

ミルンヤンマ、アオヤンマ、ネアカヨシヤンマ、そしてヤブヤンマの学名が変更になった!

(このブログはパソコンで読んでください。携帯では文字化け行づれが起こります。)  先ごろ行われた日本トンボ学会で、トンボ界を代表する若い講演者がクイズ形式で最近のトンボ事情を面白おかしく発表されました。その中にミルンヤンマの学名変更の話があったような気がしました。あまり事の重大さ...