2020年12月16日水曜日

オツネントンボの不思議な生態 その3

 野外における越冬場所

 これまで述べてきた内容は構造物への越冬を観察したもので、自然状態ではどうなのかぜひとも知りたいと思っていました。しかし、なかなか実態が分からず、多くの方々が苦戦しているのと同じく、自然状態での越冬は私も観察したことがありません。越冬が始まる寸前までは姿を追えるのですが、ある時期から忽然と姿を消すのです。ものの本には樹皮の間で越冬すると記されていますし、事実、コウチュウ屋さんが冬季間の朽木採集を行う中で、オツネントンボが出てきたというものがネットにあったりします。林の倒木などには特に注意しているのですがみつかりません。越冬直前、かなりの個体が集まる農地がありました。周辺には雑木林があるのみで、斜面に岩肌が露出した崖はありません。雑木林には立ち枯れはありますが倒木はほとんどなく、まして林縁部には越冬しそうな場所はみあたらないのです。下の写真は2017年11月3日の写真です。ちょうど雑木林とは反対方向の景観になります。ほとんどの個体が丈の低い単子葉植物の枯れた茎に静止していました。一時はこのまま越冬してしまうのかと思いました。しかし例によって、いつの間にか全く姿をみることができなくなりました。               

 本種はヨーロッパから中央アジアそして東アジアに広く分布しますが、オランダではその越冬生態が良く調べられています。以下はR. Manger & N.J. Dingemanse (2007)や R. Ketelaar at. al ( 2007) の報告です。オランダでの生態はさすがに地形的な条件が日本とは全く違う、大平原内の湿地帯が発生地で、越冬地は周辺のヒースの草原や森です。越冬は丈の低い単子葉植物の葉や茎に体を密着させたままおこなわれます。日本よりかなり高緯度にあることで、越冬開始時期は示された図をみると、日本より早い10月10日前後ではないかと推察されます。さらに新成虫は発生地から広く分散するけれども、9月から10月にかけて再び発生地周辺に集まり越冬するように見えます。なんかこのあたりは日本での生態にも合致しています。ただ越冬終了時の死亡率は50%を越えるほど高く、年明けから越冬終了時にかけて死亡率が高くなっていくようです。この原因は、調査がマーキング虫の逐次放飼放法を用いているので、この時期では生きているが落下して雪でみえなくなってしまう個体もあるなど、再捕獲数の低下の影響もあると思います。そのほか越冬は個々が吹き曝しの原野でもろに外気に曝される状態の越冬なため死亡率が、須賀川市の石の間に密集して越冬するケースとは異なるのかも知れません。これらの論文はネットで見ることができます。

 この様にオランダでの越冬場所については須賀川市の例とはかなり異なることが分かりました。須賀川市や郡山市での観察において集団越冬がなかなか見つからない事実や、越冬直前までオランダの例のようにエノコログサなどの丈の低い単子葉植物の枯茎や葉に体を密着させて夜を越すことを考えると、もしかすると、日本でも基本的には発生地(繁殖行動をおこなった)周辺に再び集まって、こうした枯れた下草で越冬するのが本来の本種の越冬する姿だとする考えもあり得るのかも知れません。

  オツネントンボの集団越冬を観察しやすい場所の1つご紹介しましょう。でも確実ではありませんので、あしからず。丘陵地にあるお墓がポイントになります。10月下旬、南向きの墓地内を歩き回ってオツネントンボが集まる場所を見つけます。これが最も大切です。冬期間に集団越冬地を見つけられる可能性が高いです。冬季に石垣や石の門など隙間がある場所を丹念に見ていくと案外見つけることができます。下は同様のお墓で見つけたオツネントンボの集団越冬です。            

           斜面に造成された墓地、10月下旬には多数のオツネントンボが飛び交う     

            わずかな隙間に20頭以上が重なって越冬中

 



                         


















2020年12月8日火曜日

オツネントンボの不思議な生態 その2

越冬に入る時期はいつか? 

 何年か門柱で集団越冬するオツネントンボを見ていると、自ずと越冬する時期はどうやって決まるのか?なぜ1か所に集中するのか?等々、気になることがたくさん出てきました。そこで、越冬が始まる時期を最初に調べてみることにしました。浄水場の職員の方々に許可を受けたうえで、門柱の脇に自記温度計を置かせてもらいました。それまでに門柱に入るのは11月に入ってからでしたので、それ以前、9月下旬から温度を記録し、10月下旬からはほぼ毎日、職場からの帰りによって、越冬の有無を確認し、越冬が始まれば毎日11月いっぱい、越冬個体の数を数えました。

 一方、それまでの観察で、春から夏にかけてはこの越冬場所周辺には全くオツネントンボの姿はありませんでした。いつから姿がみられだすのか、これはぜひ調べる必要があります。そこで8月第3週目から門柱の30m手前から1週間ごとにあみを振りながら門柱まで歩いて、飛び出した個体を数えました。その結果、2007年は越冬場所になる門柱周辺には9月第1週から飛来することが分かりました。飛来個体数は10月第2週までは緩るやかな増加でしたが、第3週から第4週にかけて急激に増加しました。個体数は第4週をピークに以後、減少しました。この時期が越冬開始時期になるわけです。2013年の場合は少し異なり、初飛来はいきなり10頭を数え、ピークは2007年にくらべ1週遅れました。このことから、年によって個体数やそのピーク時期は若干異なりますが、越冬個体は徐々に門柱周辺に集まり、待機しているようです。気温との関係は気温が低下することで、越冬場所への移動が誘発されるようにも思えます(下図)。

 次に越冬開始日が一体何の要因で決まるのかを気温との関係で見てみました。1997、2013年のデータでみると、平均気温と個体数の推移でははっきりした関係が見られず、むしろ越冬はだらだらと起きていて、越冬開始は11月4~7日で、ほぼ越冬終了は11月下旬あたりということになりました(下図)。気温以外に要因がありそうに思いました。また越冬場所に入っても、出入りが結構あって、入ったらおしまいというわけではなさそうです。実際、気温が1、2℃であっても好天の日などは越冬場所から這い出て飛び立つ個体も観察しています。
                       

 このように、いつ越冬が始まるのかについて気温との関連性について検討しましたが、どうやら要因は別にありそうなことがわかりました。そこで、今度は日長との関係に目をむけてみました。何か指標になりそうなものを当たりましたが、太陽高度が思い当たりました。ネットにそのデータがでてますので、それを利用します。越冬時期の太陽高度をグラフ化して各年度ごとの越冬開始時の太陽高度を見てみると、だいたい調査地のある須賀川市の場合は太陽高度が40度であることがわかりました。太陽高度が40度を越冬開始の目安にするなら緯度が異なる旭川だと越冬開始時期は10月初旬になります(下図)。はたしてこの考え方が使えるでしょうか? 
                      

 観察から、いっぺんに越冬場所に入らないことがわかりましたので、どのような入り方をするのかを越冬開始直後と中ごろに時期を分けて、その日周行動を調べてみました。その結果、越冬開始直後は気温が高く、門柱に飛来した延個体数は中ごろに比べ約1/5でしたが、越冬場所に潜り込んだ個体は27%でした。一方、中ごろの延飛来数に占める越冬個体の割合は逆に11%に低下しました。気温がさらに低下したにもかかわらず、飛来数は増え、越冬する割合は低下する不思議な現象です。さらに両時期でも越冬する個体はお昼ごろに集中することがわかり、さらに時期が遅れると越冬開始時間が午後にずれ込むことがわかりました。調査例が少ないので、何とも言えませんが気温との関係が示唆されそうです(下図)。
 しかし、なぜ、この門柱にオツネントンボの飛来が集中するのでしょうか?これが最も興味あることがらです。カメムシやテントウムシにみられるような集合フェロモンが介在しているのでしょうか?そこで門柱にどのように飛来してくるのかを見てみました。門柱を高さごとに区切って、最初に接地する場所を観察しました。その結果、下の表のように門柱の上の部分ほど飛来数が多いことが分かりました。もしかして、トンボは熱感知能力があるのかと思い、門柱をサーモグラフィーで撮影してみました。確かに上部ほど温度が高いことが確認されました(下図)。しかしそんな熱を感知する感覚器があるのでしょうか?聞いたことがありません。
 門柱に飛来するオツネントンボはまっすぐに飛んで来ます。もし熱感知センサーがあるなら頭部ではないかと考え、頭部を走査電顕で撮影してみました。こんな複雑な顔してるんですね。びっくりしました。とてもこの中からこれだ!とする部位をみつけることは難しそうです。ただ、他のアオイトトンボ属なんかにはないものがありました(写真1,2)。周辺のものとはちょっと異なる感じがします。まあ、こんなのがあることはわかったのですが、その機能がわかりませんから、ここから先は電気生理学の世界でお手上げということになってしまいました。
                写真1 オツネントンボの頭部単眼の左半分

             写真2 頭部上部付近にある構造体緩やかな窪みになっている

 越冬個体は春になり気温が上昇すれば眠りから覚め、越冬場所から飛び立っていくでしょう。この時期を確かめました。その結果、須賀川市の越冬場所では3月中旬が越冬から覚め、飛び出していく時期であり、越冬個体は下旬にほとんど飛び去ることが分かりました(下図)。 
                    

 ほかに、越冬個体の性比、死亡率および越冬終了時の体重の減少率なども調べました。性比はともかく、越冬終了時の死亡率はオランダの例*ほど高くありませんでした。もっとも寒さが違いすぎますか。体重の減少率はかなり大きいように思います。きびしい冬を乗り越えるにはこのエネルギー消費は不可欠なのでしょう。

*Manger, R. & Dingemanse, N. J. (2009 )Odonatologica. 3855-59 .

つづく。















2020年12月3日木曜日

オツネントンボの不思議な生態 その1


                2018.6.29 会津若松市湊町

   オツネントンボは福島県で全域で見られる普通種ですが、地味な色彩などからそれほど目立つトンボではありません。しかし、このトンボは知れば知るほど、その不思議な生態に引き込まれます。上の写真の個体は翅の表面や体表が、けば立って曇ったようになった越冬個体です。厳しい冬を生き延び、春の訪れとともに繁殖行動をおこなって、今ようやく彼の命は燃え尽きようとしているのかも知れません。写真の個体は羽化が最も遅い時期(福島では9月上旬に羽化を確認したことがある)におこなわれたとしても、成虫でこれまで10か月も生き続けていることになります。これ自体がすごいことだと思います。

                  交尾 2020. 5 天栄村羽鳥

                       産卵 同上

 本種は中通り地方では4月下旬から水辺に飛来するようになり、すぐに配偶行動を行います。配偶行動は田植え時期(5月中旬)ころにピークを迎え、以後、水辺からは急速に姿を消します。一方、孵化幼虫の成長は早いようで、新成虫が7月下旬には確認できます。羽化個体が多くなるのは8月に入ってからです。7月下旬は生き残りの越冬個体と新成虫が見られるのですがそれぞれが生息する場所は違います。越冬個体は水辺の近くにいて、最も水域にでてくることは少ないのですが。一方、新成虫はというと、広範囲に移動分散するので、水辺ではすぐに見られなくなってしまいます。羽化後、水域から離れた個体はかなり離れた丘陵地の畑や林の周囲に移動し、そこに定着して越冬に備えます。この移動はかなり標高の高い山地帯でも観察されることがあります。以前広野町の標高600mほどの尾根にあるモミの森の中にできた空き地に集団でみられたケースがあります。ここは山深く、鬱蒼としたアオタマムシの生息地でした。また、喜多方市山都のブナの樹林帯でも本種の越冬前個体を確認したこともあります。このことから一部の個体(相当数と予想します)は越冬前に積極的に山を登る可能性があるように思えます。

              夜を過ごしたイネ科植物で小雨の朝を迎える。尾の先に水滴がついている 2018.10    

 30年ほど前、あるきっかけで本種の集団越冬を観察する機会があり、この場所ではその後10数年間、毎年同様な集団越冬を観察することができました。たまたま、私の職場も近かったので、少々観察してみることにしました。この場所は村営の浄水場で、その門柱に積み重なったスレート状の化粧石の下に潜り込んでいました。多い年には100頭が集団で越冬することもありました。当地は標高が700mで周辺はブナやミズナラの森に囲まれています。本来本種が発生している水域は1km以上下った水田地帯です。どうしてここに毎年、集まって越冬するのか、不思議でなりませんでした。越冬場所はスレート状の石と門柱との間にできた1cmにも満たない隙間で、ここにテントウムシやカメムシ類と一緒に越冬しているのです。

                                                                

                                    旧岩瀬村浄水場の門柱で集団越冬するのがみつかった

           門柱の上に積み重ねられた化粧石の下で越冬中

 毎年、いつ越冬が始まり、終わるのかその間の移動はあるのか、さらにどのように門柱に集まるのか等々、少しずつ調べていきました。以下の掲載は以前トンボ学会で口頭発表したものに、その後得た新たな知見を加えたものです。


つづく。


2020年11月18日水曜日

福島県のアマゴイルリトンボ

 福島県における分布                 

                                                  成熟した雄 猪苗代町 2018,6.17

ある関西の友人から、アマゴイルリトンボは福島県で一番、観察に良い所はどこか?と聞かれました。でもすぐに答えることができません。はて、どこだろう?と。高校生の時に、福島市の土湯温泉に家族で訪れた時に近くの男沼、女沼を探索しました。この時見慣れぬイトトンボを採集して何だろうと家に帰ってから調べました。どうやらアマゴイルリトンボらしいと目星を付けましたが、良くわかりません。たまたま、月刊むしに朝比奈先生が書いていておられるのを見て、思い切ってその住所に採集品をお送りしてみました。今考えれば、ずいぶん思い切ったことをしたものだと思います。しかし、先生からはすぐにびっしりと書き込まれたはがきを頂戴し、このトンボはあなたの見立て通り、アマゴイルリトンボで、福島県では裏磐梯の五色沼から記録があることを教えていただきました。新知見だからTomboに投稿してほしい、と依頼され、それと引き換えに半ば強制的に蜻蛉学会に入会させられました。

そしてこの時の報告がTomboに掲載されて、このことが自身にとって本格的に蜻蛉にのめりこむ転機となったのです。そうした意味で、私にとってこのアマゴイルリトンボは思い出深いトンボでもあるのです。後年、新宿区百人町にあった科博をラオスのトンボ調査のため訪れた時に、朝比奈コレクションの中に、かつて先生にお送りした土湯のアマゴイルリトンボが私が書いたラベルとともに大切に保管されているのを発見し、採集した時のことを懐かしく思い出しました。

現在、福島県内の本種の分布がかなり詳細に分かってきています。10数年前までは東から福島市土湯温泉湖沼群、北塩原村五色沼一帯、同雄国沼一帯、会津若松市猪苗代湖一帯そして遠く離れて、只見町沼の平が生息地として知られていました。しかし、とあることから、本種の分布が思ってもいなかった展開をみました。それはこれまで全く、想定していなかった地域、すなわち金山町の只見川沿いに点在する池沼、さらには只見町から旧南郷村、旧伊南村の伊南川沿いの河畔公園や池沼そして、昭和村などの周辺の山地に点在する湿原に広く、かなりの密度で本種が分布することが分かったのです。

今のところ、最も注目される分布域である伊南川流域では、旧伊南村大桃あたりが分布の南限となっています。最近はそれぞれの生息地のDNA分析などもおこなわれるようになってきており、地域差が若干みられるようだと聞いています。              

              福島県におけるアマゴイルリトンボの主な生息地

樹林性イトトンボであるアマゴイルリトンボ

このトンボに樹林性イトトンボの名を用いたのは大沢尚之・渡辺 守(1984)*さんたちではなかったかと思います。本種の生態を良く表した名前だと思います。生息地の多くは鬱蒼とした樹林の中にある池沼や湿地で、また水田脇の用水路などにも見られることがありますが、必ずそばに樹林が接していますし、繁殖行動している場合はほとんどが日陰や木漏れ日が射すような環境で行動しています。只見川沿いの生息地の多くは神社の薄暗い境内の池で、周囲は樹林で囲まれています。

 このトンボのヤゴは明らかに水温が低い水域に生息するトンボのように思います。猪苗代湖西南部のある生息地での観察では、圃場整備が成った水田地帯に供給する用水路のうち、最も端にある雑木林と水田の境界を流れるU字溝が生息地となっていて、斜面からの土砂流入で水路はかなり埋まっていてヒツジグサやショウブ、ヨシなどの水生植物が結構生えています。一部は灌木が覆うかぶさるような状況になっていました。産卵や雄の待ち伏せ行動はこの日陰になった水辺でおこなわれ、直射日光が射す部分には全く見られませんでした。肝心の水は雑木林から流れる出る水が水源となっていて、ほとんど帯水状態に見えます。この水路では水源に近い上流側に本種が、さらに50mほど下流にモノサシトンボが生息しており、その境目で若干混生しています。

 只見町から伊南川沿いに旧伊南村にかけて点在する生息地は水田地帯にみられ、伊南村では用水路が発生地になっています。本来の生息地である只見、南郷、昭和村からの個体群が水田の開田とともに用水路(山際に作られているので、日陰が多く、使われなくなって帯水しているところが発生地になっています)を介して分布を広げたものと考えられます。用水路がない伊南村以南に本種は分布していません。環境的にはいておかしくないのですが。

          水域から離れた樹林の中で見られた未熟の雄(会津若松市)

 良くこのトンボの交尾や産卵ポイントがわからないと、特に遠方からやってくるトンボ屋さんに言われます。そういえば自分自身、多産地といわれる裏磐梯をみても、ここですと言えるポイントはそんなに思いつかないのです。オオトラフトンボの多産でいつのまにか有名になったレンゲ沼には本種も多かったのですが、その当時どこで交尾しているのか良くわからなかったような気がします。そこで改めて、先の大沢さんの論文を読み返してみると、それには、
⓵アマゴイルリトンボは水域そばの樹冠部が閉鎖している樹林に住み、朝9時ころから林床部に降りて来る。
⓶雄は林床に差し込む陽の光がスポット状・木漏れ日状になった部分で縄張りを形成する。
③雌は雄の縄張り付近の陽が射さない植物の葉の上に飛来する。
⓸交尾は雌が雄が待機する光のスポット部分に飛来しておこなわれ、午前10時から午後2時のあいだにおこなわれる。
⑤産卵は交尾個体が連結した状態で水域に飛来して午前10時半から午後2時半のあいだにおこなわれる。
と、ちゃんと書いてあります。40年も前の知見はその後、本種を扱った各種の出版物においても触れられることが少なく、逆に交尾・産卵についてはあやふやな記述のままが多いように思います。大沢さんたちの論文は一般にはみることが困難な大学の研究紀要に掲載されてあります。こうした重要な知見が一般に知られることなく埋もれることを危惧します。せめてトンボ専門の検索エンジンがほしいところです。


                     
             上2枚は裏磐梯五色沼周辺、下は会津若松市湊町

* 大沢尚之・渡辺守 (1984) 樹林性イトトンボ類の比較生態学的学研究. 1. アマゴイルリトンボの日周行動. 三重 大学教育学部研究紀要 35: 61-68.        

     
   
























2020年11月4日水曜日

休耕田とヒメアカネ

なかなか見つからないヒメアカネ 

福島県のヒメアカネは生息地が非常に限られていて、過去の記録を含めても10か所程度なのではないでしょうか。20年前ごろから本格的に減反政策が進められ、中山間地の水田が次々に廃田に追い込まれました。こうした水田は平地の水田とは異なり、水源を山からの湧き水を利用している場合がほとんどで、水路の管理がされなくなると、たちまち水田は湿地化して、数年後にはヤナギやハンノキが生えてきて、20年も全く手が入らなければに鬱蒼としたハンノキ林や低灌木の林に代わっていきます。

県内の安定した生息地はほとんどがミズゴケが繁茂する湿地、湿原で山地に多く見られます。時期を変えれば、ハッチョウトンボが同所に見られる場合が多いように思います。休耕田が各地に見られだすようになると、オゼイトトンボ、サラサヤンマ、エゾトンボ、ハッチョウトンボそして本種が決まって進出してきます。しかし、こうした新しい湿地も長くて10年程度しか生息地としてはもちません。いつの間にかヨシが生え灌木が繁茂し、あるいは草地化してトンボたちは姿を消してしまいます。一時的に本種の生息地は各地に増えたのですが、現在はその多くが消滅しています。

1999年8月に小野町在住の和尚さんG氏にいわき市内の本種発生地をご案内いただきました。生息地は幾分ミズゴケが繁茂してきたような山間の休耕田で、まだ若い個体が周辺の林縁部に多く、一部が交尾していました。この時は同時に阿武隈高地では稀なキマダラモドキを発見するなどの副産物もあって、チョウ好きのG和尚の笑顔が今でも忘れられません。私にはなつかしい思い出となっていました。今年、久しぶりに当地のヒメアカネはどうなっているのだろうと、訪れてみました。原発事故以降どうなっているのか全く分かりませんでしたので少々不安でもありました。 

       秋がすっかり深まりヒメアカネもいよいよ少なくなった10月下旬の生息地
   
                                                                               
                                   同様な田んぼが3枚続いていて、どれにも生息している

生息地は植生の変遷もなく、最初に見つかった時よりも丈の長い植物が全くない整然とした湿地にになっていました。不思議に思っていると、付近にいた農家の方が、この地域の休耕田は原発事故の補償対象で、その条件としてちゃんと管理されていなくてはならないそうです。だからこうやって年に何回か草を刈りはらって維持しているのだと教えてくれました。どうりで綺麗に草がないのかと合点しました。さらにその補償期間がそろそろ切れるので、その後は放棄されるとのこと。休耕田の発生地だったので、すでに変遷して林になっているのではと内心危惧していたのですが、原発事故の補償がこんな形で湿地を維持することになったとは。内心複雑な気持ちになりました。

この湿地の維持は人間の手にゆだねられていることなど、無関係のようにヒメアカネはその華憐な姿を今回も見せてくれました。この湿地はイノシシが入り込むため、その掘り返したあとに湧き水がたまり、本種の発生には申し分ない環境を作り出しているという、これまた皮肉な結果を招いています。

            枯草の上で休む成熟した雄 2020.10.4 いわき市小川              

                  同 胸部の黑帯が少し異なる雌

                      早々と交尾するペア
  
               イノシシの足跡にできた水溜まりに産卵するペア
                
                    連結態を解いて産卵飛翔する雌

                       単独産卵する雌

この生息地のヒメアカネ個体数はそれほど多くはありません。良く、個体密度が高いとライバル雄がすぐに交尾するため、それを回避するために交尾を終えた雄は連結したまま産卵を促すと言います。ここでは密度が低くとも、産卵は交尾したペアが連結して産卵します。一見、単独産卵している個体が見られますが、観察していると、連結産卵をおこなった全てのペアは早々に分離して、雌は単独で産卵を続けました。ヒメアカネの翅は非常に薄く華奢で、長時間連結産卵するにはやや力不足の感があり、雄は産卵中にすぐ疲れて止まります。アキアカネのように長時間連結産卵するようなペアは見られませんでした。もっとも、単独産卵している雌は雄に捕まり、また交尾することも頻繁にありました。この種は連結産卵が苦手なのかも知れません。長時間連結産卵して確実に雄の遺伝子が次世代に受け継がれていくよりも、短時間のうちに、単独の産卵の雌が次々に新な雄と交尾して、多くの異なった遺伝子が拡散していくことが、この種にとって最も大事な配偶戦略の意義なのかもしれません。

この半ば意図せずに保護されている湿地には11月上旬まで、たくましく生きるヒメアカネが見られます。今後、草刈の管理がされない状況になった時、どのように生息地が変わっていくのか今後も見守り続けたいと思います。









                          










2020年10月18日日曜日

福島県のアカトンボ Ⅰ (マユタテアカネ、ムツアカネ、コノシメトンボ)

                    

福島県のアカトンボ(1)

福島県には14種のアカトンボ属が生息していましたが、このうちタイリクアカネの記録が近年絶えています。特に確実な発生地であった相馬市松川浦の生息地が東日本大震災の巨大津波で失われたことは決定的であったようにも思います。しかし、まだ可能性はあると信じて相馬市一帯の探索は続けたいと思います。一方、飛来種がほとんどないと思われていた福島県ですが、新たにスナアカネが時折飛来していることも明らかになってきました。今年も精力的にホソミモリトンボを調査されているO氏によれば、尾瀬で確認できたということです。広範囲に薄く飛来がみられるようなので、広い福島県内での確認はなかなか大変なのですが。

今回は秋も深まり、いよいよトンボの季節も終わりに近づいてきたことから、福島県で見られるアカトンボの写真をアップしていきたいと思います。しかし、いざ写真を探してみると意外に撮っていないことを改めて痛感することになってしまいました。ほとんどないのです。例えばナツアカネ、これは郡山市周辺でなぜか最近少なくなって、全くいなくはないのですが、同じような環境で産卵するノシメトンボが多産するのに対して、明らかに少なくなってしまったように思います。近間でどこに行けば撮れるかわからないといった具合です。今年度県内で撮影したアカトンボはほとんどありませんので、これまで県内で撮影できた分の中から写真を少しづつ掲載していきたいと思います。 

マユタテアカネ

今年かろうじて唯一撮っていたアカトンボです。主役として対象にしにくいトンボで、何かのついでにレンズを向けていたため、あまり撮っていませんでした。このアカトンボは水田地帯だと用水路のわきとか、山際の池でも、やや日陰の多い場所とかが生息地として認識していたのですが、結構明るいところが好きなんですね。撮影していて分かりました。体が小さくて温まりやすいのか、アキアカネなどの活動開始時間より早く活動を開始するようです。

雄は産卵域となる明るい池や湿地の縁に飛来して雌を待ちます。雄間で目まぐるしく飛び回って争いますが、すぐに決着がつき大騒ぎにはなりません。雌が産卵に飛来するとたちまち雄に捕まって連結状態になります。そしてわずか10秒ぐらいですが、雄はここで産卵してするんだぞ?と雌に言わんばかりに、雌を上下に緩やかに振って産卵を雌に促します(雌は産卵しませんが)。それが終わると、今度は急に激しく上下左右に雌と連結になったままその周囲を飛び回り、すぐ近くの草の葉や枯れ枝などに止まって交尾します。結構この交尾も敏感ですぐに飛び立ってしまいます。私は交尾時間を測ったことはありません。産卵は連結態でおこない、連結を解いた後に単独で産卵することも多いです。夕方、寝ぐらとなる雑木林の縁に集まって、多くの個体がマイコアカネと同じく交尾します。なのに、翌日産卵前にまた交尾する。不思議です。アキアカネは朝飛び出すと同時に連結態(一部は交尾する)となって産卵場所に飛来してから交尾して産卵しますから筋道がたちます。こうしてみるとマユタテアカネ一つとってもわからないことばかりです。

若い個体の交尾  2019. 8.2 南相馬市鹿島

           湿地に産卵するつま黒型の雌  2019. 9.20 大信村羽鳥

                                                                            
                                                        
 上2枚、2020. 9.30 大信村羽鳥 

ムツアカネ

福島県では桧枝岐村の尾瀬、会津駒ヶ岳山頂から知られていて、尾瀬では分布域が広くまた個体数が多いのも特徴です。会津駒ヶ岳の本種は実際には見ていないのでわかりませんが、個体数はそう多くはないのではと思います。会津駒ヶ岳から中門岳の稜線にある雪田・湿原に見られるそうなので、新潟県の平ヶ岳の場合と同じようですね。尾瀬は特別保護区が広いため、撮影には気を使います。重兵衛池や長池は特別区なので、撮影は問題ありませんが藪漕ぎしなければなりません。クマも何だか最近は多いですし、撮影に行く場合は少し緊張します。
                                         
                    深まる秋の重兵衛池 2019.10.2

                          
               羽化したての個体 2013.7.27  桧枝岐村長池

                     まだ若い個体の交尾 
               
         
   
          2枚とも完全に成熟した個体の産卵 2019. 10. 2 桧枝岐村重兵衛池

本種は前にも述べました通り、尾瀬から7キロ離れた標高700mあたりの桧枝岐川の脇に造成された池などにも見られ、考えられていた以上に積極的に移動を繰り返しているようです。産卵場所となる露出した土や有機物の堆積物からなる平坦で緩やかな傾斜を持つ池を河川沿いにつくれば本種を誘致できると思います。これはマダラナニワトンボでも同じです。行政は保護一辺倒でなく、いい加減、積極的に増殖や新たな生息地の創出を行ったらいいのではないでしょうかね。

コノシメトンボ
福島県では非常に生息地が限られています。このトンボは何ともつかみどころのないトンボで、本来、移動性が高く、一般に浜通り地方の暖かな地域に多いと考えていましたが、浜通りでも生息する池沼は極限られていて、個体数も多くはありません。また隣り合う一方の池には居て、他方には全くいないなど、変な選択性があります。そうかと思えば奥羽山系の標高700mにある別荘地の調整池に突然発生して、以後、毎年発生を繰り返している例など、どうもわかりません。県内産で確実に生息しているアカトンボで最も情報が少ない種だと言えます。
                           
                                           羽化後間もない雌 大信村羽鳥 2019. 9. 12
    
             ウォーミングアップ中の雄 大信村羽鳥 2019.9. 12 
                        
                                            夕日を浴びて休む雌 南相馬市 2017. 9,19 
                                                                   
                                                   交尾 
大信村羽鳥 2019.9. 12 
            
               
産卵 大信村羽鳥 2019.9. 12 
  
              
産卵飛翔 大信村羽鳥 2019.9. 12 


つづく


   




2020年10月1日木曜日

滅びゆくマダラナニワトンボ

 


老熟したマダラナニワトンボ雄 2020. 9. 30 会津若松市赤井谷地

 福島県におけるマダラナニワトンボの主な分布は現在、会津若松市、南会津町および昭和村から知られていますが、若干小規模な発生地が磐梯町にも点在しています。しかし本種はいずれの生息地でも、生息数が減少しており、特に磐梯町や会津若松市の生息地ではその傾向が著しくなっています。なかでも会津若松市の赤井谷地は発見当時、個体数が非常に多く、安定した生息地のように考えていました。しかしその後、急激にミズゴケが発達し、周辺部からヨシやハンノキが侵入してきて開放水面が年々縮小していきました。これが本種の個体数減少の最大の原因と考えられます。
 赤井谷地が国の天然記念物に指定されたのは古く1928年だと言います。しかし終戦後、周辺部に大規模に水田が作られ、赤井谷地の水は農業用水として利用されて急激に乾燥化が進みました。戦後間もなく米軍が数次にわたって全国を空撮していて、国土地理院のホームページからアーカイブとして閲覧することができます。それを見ると、終戦直後の最初の写真には赤井谷地の中央部にかなりの面積の池や多数の水たまり(多分このころすでに高層湿原化していたものと思われます)が確認できますが、数年後には消失しています。当時マダラナニワトンボは赤井谷地本体の湿原内部に相当数生息していたものと推察します。赤井谷地で本種が初めて発見された時には、すでに湿原本体から棲家を奪われ、最後に残った今の生息地に追いやられた姿だったのです。しかしこの最後の砦ももう間もなく失われ、本種は赤井谷地から姿を消す運命なのです。
 近年、会津若松市は周辺の開拓後放置されてた土地を買い上げ、取水を制限しつつ、湿原の乾燥化を防ぐ取り組みをおこなっていますが、あまりにも対応が遅すぎました。もうここまでくると湿原の変遷は止められません。
 現在も赤井谷地は国の天然記念物のままで、動植物の採取が禁止されています。さらにマダラナニワトンボは福島県のレッドデータで絶滅危惧Ⅰ類に指定され、「福島県野生動植物の保護に関する条例」によっても採集が禁止されています。したがって、2重に法の網がかかっているわけで、採集は絶対慎まなければなりません。
 私も最近の赤井谷地のマダラナニワトンボの発生状況は全くわかりませんでしたので、数年ぶりに現地での発生状況を見てきました。
                     
赤井谷地の発生地の景観 2020. 9. 30

 マダラナニワトンボが発生している湿地は予想をはるかに超えて乾燥化にともなうヨシと灌木類の侵入が進んでいました。また、水位が高い場所はミズゴケの繁殖が旺盛で、これも水域を減少させている原因になっているようでした。前に訪れた時あった開放水面はすでになく、わずかにヨシ原の内部に水面が見られたのみでした(写真 上)。以前、産卵が多数みられた場所はスゲ類の繁茂した草地に代わり、産卵適地は極めて限られていました。
 当日は快晴で絶好の観察日和でした。マダラナニワトンボ雄が湿地に飛来したのは11:20からで、気温は19.8°Cでした。その後、個体数が増えましたが、湿地の産卵域にはしばらく入らず、周辺の植物に定位していました。この間は水域に出ていくと、アキアカネやノシメトンボに追い払われていました。12:00前後からようやく雄は水域周辺に出てきて活発に活動するようになりました。この場合はノシメトンボと対等に対峙し、流動的ではありますが縄張りを張る個体がでてきました。一方11:45には多産するノシメトンボが産卵を開始しました。当日は以前この湿地に多産していたコバネアオイトトンボは全く観察時間中確認できませんでした。
                     
            多産するアキアカネはマダラナニワトンボと同じ時間に産卵が始まった

                ノシメトンボが産卵を始めた

 マダラナニワトンボの産卵は12:09にようやく観察されました。この時の気温は20.0°Cでした。産卵は12:50に終了して気温は19.7°Cでした。しかし、雄は結構見れる(といってもかつての数の1/10以下)のですが、産卵は1~2ペアが見られるのみで、この状況の産卵が継続しました。産卵していたペアが終始同一個体だったのかは確認していません。
 この観察結果は赤井谷地のマダラナニワトンボがただならぬ状況に追い込まれていることを示しています。予想よりかなり早く絶滅してしまうかもしれません。もちろん一日だけの観察では結論じみたことは言えません。天候が悪い日が続いていた当地では、前々日に晴れたため、一斉に産卵が起きたかもしれません(そうあってほしいと思いますが)。しかし、それにしても産卵が晴天のこの日1、2ペアというのはあまりにも少ない数です。いずれにせよ来期以降、本種の発生はより注視していく必要がありそうです。
                     
         当日は交尾を確認できませんでしたので、以前の写真をあげました
                                               





                                       
                         産卵飛翔、他に産卵するペアはみられない 
上7枚ともに
 2020. 9. 30 

 福島県で最初にマダラナニワトンボを確認したのは30年ほど前に磐梯町法正尻湿原一帯でした。このころはまだ個体数も多く、点在する湿地にはかなり広く本種が生息していました。ところが、この一帯はその後、県内有数のホウレンソウ生産地となって、潅水源を湿原に求め、大量の水が取水され続けました。このため急速に湿原が乾燥、縮小して現在は全く本種の姿は見られなくなりました。赤井谷地の例も同様ですが、地域の農業振興が原因で湿原の本来持つべき自然環境が短時間のうちに失われる例は結構多いのではないでしょうか。法正尻湿原は昭和49年に福島県の自然環境保全地域に指定されて湿性植物群落が保護されているにもかかわらず、結局は湿原の保全に死活問題である水を農業のためとはいえ取水されてしまうこと自体、この条例は有名無実の保護条例であったと言わざるを得ません。福島県にはこのほか昭和村の矢の原湿原に本種が生息していますが、ここも北岸部に堰が設けられていて、人為的な水位の調整が可能です。湿原周辺部に新たな農耕地の開発は今更ないとは思いますが、一応その可能性も頭に入れておく必要があると思います。

 
                    








ミルンヤンマ、アオヤンマ、ネアカヨシヤンマ、そしてヤブヤンマの学名が変更になった!

(このブログはパソコンで読んでください。携帯では文字化け行づれが起こります。)  先ごろ行われた日本トンボ学会で、トンボ界を代表する若い講演者がクイズ形式で最近のトンボ事情を面白おかしく発表されました。その中にミルンヤンマの学名変更の話があったような気がしました。あまり事の重大さ...