2021年7月19日月曜日

ハッチョウトンボの学名が変わった!

日の丸ハッチョウトンボの最新の学名は?

  ハッチョウトンボ Nannophya pygmaea の分類について、昨年、大きな動きがありました。まだ最新の図鑑にもこの内容が反映されていないため、多くの人がこの事実を知らないままであるように思います。笹本・二橋 (2021, 月刊むし 603: 37-50) がこのことについて国内で最初に報じていますが、あまり詳しくは触れていません。内容は非常に重要なので、改めて取り上げてみました。その内容を述べる前に、ここで一度世界のハッチョウトンボ属の現状について見てみましょう。

Nannophya Rambur, 1842
Nannophya australis Brauer, 1865
Nannophya dalei (Tillyard, 1908)
            Nannodythemis dalei Tillyard, 1908
Nannophya fenshami Theischinger, 2020
Nannophya katrainensis Singh, 1955 (doubtful species)
Nannophya koreana Bae, 2020
Nannophya miyahatai Yokoi, Souphanthong & Teramoto, 2020
Nannophya occidentalis (Tillyard, 1908)
            Nannodythemis occidentalis Tillyard, 1908
Nannophya paulsoni Theischinger, 2003
Nannophya pygmaea Rambur, 1842
            Syn Fylla exigua Kirby, 1889
            Syn Nannodiplax yutsehongi Navás, 1935

                     Paulson&Schorr (2021)より

 このリストからハッチョウトンボ属は、現在9種が南アジア、東南アジア、東アジアそしてオーストラリアから知られ、このうち5種はオーストラリアの固有種です。リストにあるNannophya katrainensis (インド産)はその記載文を見ると、明らかな同定ミスなのでこのリストからは除外すべきでしょう。したがって、世界のハッチョウトンボ属は現時点で8種から構成され、オーストラリア以外では、3種のみが南アジア~東アジアに分布しています。
 さて、ハッチョウトンボ Nannophya pygmaea は南アジア、東南アジアおよび東アジアの極めて広い地域に分布していて、その地域ごとに胸部、腹部の色彩が異なることが知られていました。そのため、かねてから、それらは別種か亜種の関係にあるのではないかと考えていた人は少なからずいました。しかし、この問題を改めて検討するには大きな難問が控えていました。一つはタイプがどこで採集されたのかが分からないという点です。一応、東南アジアのどこかであることは分かっていましたが、はっきりしません。もう一つは、これが最大の問題です。pygmaea のタイプはメスで、その標本はすでに失われていることです。そのために今改めて各国の変異に富むメス個体をまんべんなく収集して、その形態的差異を見出すべく検討することは、膨大な時間と経費から、事実上不可能なことなのです。
 ところがこうした中、突如2016年にマレーシアの Low らが各国の Nannophya pygmaea のDNA解析をおこなって、これまでのpygmaeaがおおよそ4つの種レベルのグループに分けられると報告したのです1)。この論文では、自国のサンプル以外は日本のDNAバンクにある各国のハッチョウトンボのDNA塩基配列データソースを使用して研究されており、論文では日本のpygmaeaは韓国と同じグループに含まれるとしました。また、中国やボルネオのpygmaeaもそれぞれ異なるグループなので、古くpygmaeaのジュニアシノニムとして扱われてきた中国とボルネオ産ハッチョウトンボの種名が復活する可能性を示唆しました。平たく理解するならば、日本産ハッチョウトンボは、韓国産と遺伝子レベルで同種で、学名はpygmaea ではなく、名無しの権平状態にあるということなのです。
 ことはさらに進んで、2020年に今度は韓国の研究グループが同様の研究を行い、N. pygmaeaは3つのグループに分けられるとしました。さらに同じグループの日本と韓国のハッチョウトンボの形態を比較したうえで、完全に同種であると結論して、両国のハッチョウトンボをNannophya koreana として新種記載したのです2)。この学名は命名規約上問題はありませんから、一番上のPaulsonらのリストにも Nannophya koreana として登録されるに至ったのです。したがって、日本のハッチョウトンボはこれまでのNannophya pygmaeaではなく、今後、学名を表記する場合、韓国の研究者が命名したNannophya koreanaを当てなくてはならなくなったのです。和名もカンコクハッチョウトンボとでもなるのでしょうか?
 この分子系統分類の目覚ましい進歩はこれまで、実現が難しいとされた問題も軽く突破していく可能性を、このハッチョウトンボ問題でまざまざと示したといえるでしょう。今回の研究ではいずれもが、日本にあるDNAデータが使用されました。現地に行ったこともなく、現物を見たこともない研究者が、トンボのDNA情報をパソコン上で、簡単に検索できDNA塩基配列情報をダウンロードして比較検討できる国際DNAデーターバンク(日本DNAデータバンクやアメリカのGenBank等)はすばらしい研究システムですが、同時に思わぬ時に思わぬ人たちによって、全くこれまでの既成概念を打ち壊すような成果が突如として公表される可能性があることを知るべきでしょう。
 今回の件について、Lowらはどうやって、何をきっかけにハッチョウトンボの分類的な問題を知って、研究をおこなったのか非常に興味が持たれます。彼らの研究は完全にハッチョウトンボの分類の盲点を突いた研究だったからです。

1) Low, V.L., M. Sofian-Azirun and Y. Norma-Rashid. 2016. Playing hide-and-seek     
        with the tiny dragonfly: DNA barcoding discriminates multiple lineages of     
        Nannophya pygmaea in Asia. Journal of Insect Conservation 20:339-343.

2) Bae, Y.J., J.H. Yum, D.G. Kim, K.I. Suh and J.H. Kang. 2020. Nannophya koreana 
        sp. nov. (Odonata: Libellulidae): A new dragonfly species previously           
        recognized in Korea as the endangered pygmy dragonfly Nannophya pygmaea  
        Rambur. Journal of Species Research 9(1):1-10.      

        愛らしいハッチョウトンボ Nannophya koreana のオス 会津若松市 

                      Nannophya koreana のメス 同

                          

ラオス南部のハッチョウトンボの1種. 日本産と同じ pygmaea でしたが、違いますよね

                          

                 特にメスなんか日本産とはかなり違う感じ
               



                  


              

 

 

2021年7月14日水曜日

サラサヤンマの目の色

  サラサヤンマはまだあまりトンボの知識が無かった高校生の時に、どんなところに居るのだろうかといろいろ想像していました。当時は湿地などがある里山には自転車でしか行くことができず、そう簡単に生息地を探すことは容易なことではありませんでした。現在は車でどこへでも行くことができ、そうするとこのサラサヤンマは決して珍しいヤンマではなく、ちょっとした林を伴う湿地にはだいたい生息していることが分かりました。カメラでトンボを追うことを始めたころは、ホバリングしてすぐ止まる本種は良い練習対象でした。そうしてかなりの数の写真がたまっていったわけですが、ここからが本題!
 サラサヤンマの眼など未熟時は明るい黄褐色、成熟すればエメラルドグリーンと決まっていて、何の疑問も持たず気にもしていませんでした。ところが2020年に北海道の横山さんたちによって、北海道産の本種には複眼と腹部斑紋が青くなるものがいるという報告がありました(横山ら、TOMBO,62: 109-110)。私はこの報告を目にした時に、今は石川県に移り住んでいるMさんが、当時まだ郡山に住んでおられた時に、お邪魔して北海道のサラサヤンマの眼が青いことをスライドで見せてもらっていたことを思い出しました。その後、加納一信さんのトンボ写真集「蜻蛉の記憶」(六本脚で販売しています)の中のサラサヤンマも美しい青色の複眼の個体でした。私は妙にこの青色の眼をしたサラサヤンマが気になっていました。横山さんの報告では個体が老熟すると青く変化する可能性を示唆しています。そこで、撮りためた写真を見ていくと、何と我が郡山市内の良く通う湿地で撮ったサラサヤンマに青い複眼をしたものがあるではないですか!
                   
                        複眼が青いサラサヤンマ, 自然光で撮影. 8/Ⅶ/2019 郡山市三穂田町

 今年、エゾトンボの観察に会津若松市の生息地を訪ねたところ、まだ少数のサラサヤンマが、多くのエゾトンボに交じって摂食行動をおこなっていました。よく見ると、何だか感じが違います。何となく黒い感じがしたので、写真に撮ってみたところ、これまた「青い眼ちゃん」ではありませんか!そしてほどなく、クマザサの茎に例によって地面すれすれの高さで止まりました。そーと近づいてみると、眼はやはりエメラルドグリーンではありません、かと言って目を見張るほどのブルーでもありません。
                     
          複眼部を少し拡大. 腹部背面の斑紋のやや青っぽい. 自然光で撮影 14/Ⅶ/2021 会津若松市

 良く観察するとこの個体は腹部斑紋も幾分、通常個体より緑青的な色彩になっていて、この複眼と腹部斑紋の特徴は北海道で報告されたものとほぼ一致するように思います。ついでに、複数を採集して調べてみると、まったく同様な特徴を呈していることが分かりました。
 サラサヤンマとしては時期が遅く、翅の痛みも多く見受けたことから、これらの個体は老熟個体であることが分かります。同様な個体は郡山市でも確認しましたから、横山さんたちの考えの通り、老化個体の眼が青みが増してくるようなら、このような傾向はどの産地でも見られることなのかも知れません。
 発生時期が終盤を迎えるころ、サラサヤンマの複眼は青くなってくるという仮説をぜひ来年調べてみたいものです。皆さんもどうですか?
                   
     日射しを避けて木陰で休む♂ 自然光で撮影 同 
                    
                          摂食飛翔する♂
                      
                       フラッシュを使って撮影

 
 


 


 







2021年7月8日木曜日

カラカネイトトンボとエゾトンボ

福島県のカラカネイトトンボ 
  カラカネイトトンボ属は世界で6種が記載されています。このうち4種が北米、1種が中米を含む南米大陸から知られており、残るカラカネイトトンボのみがユーラシア大陸(ヨーロッパ、ロシアおよび日本)に分布しています。緑の金属光沢の非常に小さな愛らしいイトトンボで、1934年に福島県尾瀬ヶ原(南会津と記載されている)において、国内で初めて記録されました。国内では東北地方以北に生息地が限られ、北海道と青森県を除いてその生息地は数か所しかありません。        
 県内では尾瀬地区以外に会津若松市、磐梯町の猪苗代湖北西岸部のミズゴケ湿原に生息しています。ただ、磐梯町では湿原が乾燥化してヨシや灌木の侵入が著しく、最近は確認できません。また、会津若松市の産地も同様に、湿原の変遷が著しく、このところ個体数が急激に減少しています。成虫は6月上旬~7月下旬に見られ、ミズゴケに生える背の低いスゲ群落内に静止していることが多く、交尾は午前中におこなわれます。産卵は昼以降に多く♀単独でヨシ、ガマ等の抽水植物やカヤツリグサが密生する水域に出て、枯れた水生植物の水面近くにひっそりと静止しています。そして安全を確かめた後に、水面に浮いた枯れた植物体に産卵します。♀は非常に敏感で、わずかな水面の揺らぎでも飛び立ち、苦しい体勢で長時間の観察は困難を極めます。しかも密生した水生植物が撮影の邪魔になり、なかなか撮影位置につけず、せっかくのチャンスを逃します!また梅雨時期のムッとする湿地からの熱気のもと、ちょっとした刺激で飛び立たれては見失なうの繰り返しで、気が変になりそうです。今回最新の産卵の写真と思ったのですが、相変わらずの♀の動きに、今度やったら脳梗塞や窒息を起こして死ぬかもしれないと、産卵は以前の写真でお茶を濁すこととなりました。
         非常に小さいため、最初は目に入らない。成熟した♂ 8/7/2021 会津若松市
                         
                     成熟すると赤目タイプにかわる♀

                   午前中、交尾するカップルが多く観察される

                          同
                          
                 産卵時の♀は異常な敏感さで、撮影は非常に困難

 カラカネイトトンボの生息地はミズゴケ湿原ですが、陽の当たる非常に浅い開放水面あるいは適度な水溜まりが必要です。尾瀬はさすがに今のところ心配はなさそうですが、会津若松市の産地は正直、高層湿原がさらに草地へと変遷していて非常に危ない状況です。ここは思い切った行政主導(この湿原の管理は会津若松市教育委員会)の対策を打つ必要があります。具体的には重機を入れて、10m四方の池を数か所掘り上げ、開放水面を造ることです。そんなことして大丈夫かい?といぶかしむ人もいるでしょう。そもそも、この本種の生息地は農業用ため池として造成されたものです。それが水田の用水需要が無くなって、放置され現在のミズゴケ湿原に変わった経緯があります。新たに作る池は10年でミズゴケの高層化によって水溜まり程度の湿地に戻るよう、浅くせいぜい30cmほどの深さが良いでしょう。要は、湿原の変遷は止めることができず、放置すれば確実に本種は姿を消すため、人為的に生息地を創生するのです。はたしてうまくいくかは分かりませんが、このまま何もせず消滅させるよりはやってみる価値はあると思います。

湿地の主役エゾトンボ
                     
                  エゾトンボの生息環境            
          ミズゴケ湿原は周囲からヨシが侵入し、次第にヤナギ、ハンノキ類が繁茂していく

 福島県内の本種の分布は詳細には調べられていませんが、ポツポツと県内各地から記録されています。この中で猪苗代湖周辺には生息地がまとまってあります。ここは核となる湿原が広大に広がり、また周辺に小規模の湿地が点在しています。発生する個体数は非常に多く、個体もいわゆる後翅長が41mm以上のオオエゾトンボタイプの大型種(今時この種名を用いる人はいないのですが、何となく愛着を感ずるので)が多く、コヤマトンボほどの大きさの個体も時折見かけます。6月中下旬に羽化した個体は群れて、林縁部や林道上を緩やかに飛びまわり、餌を食べ飛翔筋を鍛えて成熟していきます。この時、♂と♀はそれぞれ別に群れて飛び、あまり異性のグループに混じって飛翔することはありません。時折♀のグループに成熟した♂が現れて、群飛して摂食中の未熟♀と強引に交尾する場面を目撃します。
 この時期の♀は黄色の斑紋が際立っていて、なかなか魅力的です。♀は産卵時にしかお目にかかれませんが、この7月上旬でしたら簡単にその姿を見ることができます。
                    
                 梅雨空の中でも活発な飛翔が見られる湿地脇の農道

 梅雨空を気にしながら、7月7日10時ごろ当地を訪れると、いました、いましたオオエゾトンボタイプのエゾトンボがたくさん飛翔しています。全て♀で、ざっと数えて20頭ぐらいでしょうか、中にはかなり小型の個体(エゾトンボタイプ)も混じっています。林道上3~5mを飛んでいます。飛翔する場所はだいたい決まっています。風上に木立があって風が弱まって巻く場所です。餌となる小昆虫が適度に巻き上がっているのでしょう。こうした場所を長時間、一回の飛翔時間は20~30分、休んでまた同じところで飛翔、これを連日繰り返します。これは本種に限ったことではないようで、かつて石垣島で、翅の一部が破損して一見してそれと分かるミナミトンボが滞在期間中(3日)ずーと同じ場所で摂食行動をとり続けたのを観察したことがあります。
                         
                 いまにも降り出しそうな梅雨空を飛ぶ未熟の♀
                          
              小雨が降る中を群れて飛ぶ♀たち、7頭いるのですがわかりますか?

  この時期はまだ、配偶行動が見られません、ようやく先行して成熟した♂がぽつぽつ出てきたころです。湿原や湿地内での♂のテリトリー飛翔は多分来週頃から見られだすと思います。群飛する、特に♀の休息は隣接するキリの木(枯れ枝が多い)の高所に好んで止まるようです、しかし、時折地面に近い場所にも降りて休止する個体が見られます。なかなか飛翔中の♀を撮影することは難しいのですが、こんなチャンスはありません。
                     
              クリの枝先に止まる♀, 地表から1mもない高さ
                 コナラの枝に休む超大型の♀, これも低い, 5,60cmあるか

                   ゆったりと滑空, 黄色の紋が映える♀

               背景が変わるとさらに黄色が映える
                    
                地表近くまで降りてきて、周囲を飛び回る♀
                     
                     
 珍しくオオヤマトンボが♀の群れに交じって、摂食飛翔していたのですが、突然♀を襲って連れ去りました

 一方、♂の群れに♀が混じることは少ないのですが、♀の群れに交じる♂は少なからずいます。どの世界も似たような者はいるもんですね。♂たちも他者を気にせず、一見仲良く飛ぶ姿をみていると、あのテリトリー争いは一体何なのかと思ってしまいます。間もなく本格的なエゾトンボ達の熱い夏が始まります。
                     
                 小雨のなか湿地の中の枯れた灌木の枝に静止する未熟な♂
                          
                       摂食飛翔するやや未熟の♂







 
 
 


 


    


















                     

ミルンヤンマ、アオヤンマ、ネアカヨシヤンマ、そしてヤブヤンマの学名が変更になった!

(このブログはパソコンで読んでください。携帯では文字化け行づれが起こります。)  先ごろ行われた日本トンボ学会で、トンボ界を代表する若い講演者がクイズ形式で最近のトンボ事情を面白おかしく発表されました。その中にミルンヤンマの学名変更の話があったような気がしました。あまり事の重大さ...