2021年1月14日木曜日

何じゃ、これ?

 オオルリボシヤンマの不思議

 オオルリボシヤンマは福島県ではどこにでもいる盛夏から秋にみられる大型トンボです。一般の人にはあまり馴染みがないのですが、池や沼に行けば普通に見られます。最近まで私はこのトンボについてはあまり興味が持てず、自ら観察しようとは思いませんでした。オオルリボシヤンマはヨーロッパから東アジアにかけて広く分布するトンボで、かつては日本産のものはヨーロッパ産に対して日本亜種として区別されていましたが、近年、DNAの調査によって同一種としてシノニム扱いになっています。外見はかなり違うのですがねえ。

         アキアカネを捕食後,木の幹にべたっと止まる. 21/9/2015 郡山市片平町

                     

         コノシメトンボを捕食後,枝に止まって休息する. 20/9/2019 大信村羽鳥

 このトンボを観察していて気になることが2つあります。一つは止まり方です。大体、観察地において本種が止まることはめったにありません。疲れないのかと思うのですが、まず止まらないですね。私が見たのはいずれも捕食した時に止まった例です。捕食もほとんどは飛びながら食べてしまいますが、相手が大きい場合、例えばシオカラトンボですが、磐梯山の中腹に小さな沼が樹林の中にひっそりと忘れ去られたようにあります。ところが、8月以降、ここにオオルリボシヤンマが押しかけ、早朝からそれは雌雄入れ混じっての大騒ぎとなります。他にタカネトンボやシオカラトンボがみられますが、たまたまシオカラトンボの雄がオオルリボシヤンマの雄にちょっかいを出しました。オオルリボシヤンマが怒ったのかどうかわかりませんが、たちどころにこのシオカラトンボを捕まえて食べてしまいました。この時、しばらく飛んでいたのですが、近くの木の枝に止まってほぼ食べつくしてしまったのです。

 これと同じ状況でコノシメトンボを捕食し終えて休む姿を写した写真がありますので上げておきます。捕食時に枝に止まる雄を観察したのはこの2例のみです。たいてい捕食は木の幹に止まることが多いように思います。上に示した個体は林の中の空き地を飛び回っていた時、たまたま飛んできたアキアカネを捕らえて木の幹に止まって食べ終えた時の写真です。文献等では直接木の幹に止まるとも書いてありますが、単なる休止の時に止まったのでしょうか気になるところです。

        縄張り飛翔する雄、交尾もせず何やってんだ. 10/8/2020. 大信村羽鳥

           雄なんぞ完全無視で産卵に勤しむ雌. 15/8/2018 会津若松市内

 もっと気になること。オオルリボシヤンマの交尾はどうなっているのでしょう?本種を観察した人で交尾を最初から最後まで見た人はどのくらいいるでしょう?だいたい、連結すら見ることは稀ではないでしょうか?個体数が多い生息地では雌が多数産卵に訪れていますが、多くの雄が雌の背後を隙を伺いながら飛翔するのですが、毎回交尾はおろか連結すらできません。私はこれまで本種が連結して飛んだのを見たことがありませんでした。いったい多数の雄は何をしているのでしょうか?西シベリアにおいても、本種の交尾を日中観察できなかったとするレポートもあって、この辺は国が違っても共通なのかも知れません。ところがチョウ好きの友人S氏が2001年9月12日の昼前後に福島市の土湯温泉の小さな沼で、産卵中の雌を強引に連れ去り、空中で交尾、すぐに脇の樹木の上部の枝に止まるのを何組も見たというのです。また、ゲンゴロウ屋さんのT氏もさほど大きくない池で同様の交尾を見たことがあると話してくれました。やはり産卵中の雌をタイミング良く捕捉して交尾に至ることはあるようですね。そういえば東京の加納一信さんの集大成の写真集(六本脚で買えます)にはきれいな交尾の写真が載ってました。

 しかし、どうも解せません。ほとんど交尾できない雄が長時間縄張りを維持し、飛び続ける。産卵に訪れる雌がたくさんいるのに交尾しようとしても、雌にことごとく拒絶され続けることは、あまりにも理解に苦しみます。もしかして日中の縄張り飛翔は本当の配偶行動ではないのではと思えてきます。マダラヤンマの項でも触れましたが、Aeshna 属は早朝、まだ日が上がらない時間帯から活動しています。実際に昨年マダラヤンマは早朝6:30にはすでに産卵・交尾しているのを確認しましたし、ヨーロッパでは A. grandis および A. viridis の交尾行動は夜明け前におこなわれるのが基本だとする報告もあります。こうなるとダメもとで 、早朝、夜明け前の本種の行動を一度詳細に見てみる必要がありそうですね。

桧枝岐で採れた謎のルリボシ系ヤンマ

これから掲載する上記表題の内容は、2016年のふくしまの虫で発表したものを一部改変したものです。福島虫の会会誌「ふくしまの虫」はPDF化して無料開示することで調整中です。直近5年分以前に発行した号を順次開示していく予定です。今回はこれに先立ち、内容は少し変えてありますが、多くのトンボ好きの方々に参考にしていただきたいと掲載しました。

プロローグ

 数年前の冬、東京で恒例のトンボ同好者の小さなスライド・ビデオ会に参加した。会の終了後友人から、かつて桧枝岐の奥地で正体不明のルリボシ系のヤンマを複数採集したことがあったと告げられた。そしてヤンマの不思議な形態と生態が語られた。中でも産卵生態はこの属のものとしては驚くべき内容であった。私は帰宅後もこのことが頭から離れず、すぐにでもその採集地に行ってみたいと考えていた。

 その後発生した震災の混乱がようやくひと区切り着いた2015年7月、教えられた採集地を訪れることができた。しかし訪れてみると懸念していたとおり、採集地一帯はすでに環境が大幅に変わっていて、当時あった集落はすでに廃墟となり、その後起きた度々の河川の出水によって、地形も大幅に変わっていることが分かった。当然話に出てきた池は見当たらなかった。それでも周辺を捜すとヤンマが飛びそうな池を数個見つけることができた。ダメもとで、その一つでしばらく待つと、期待通りオオルリボシヤンマが上空から入ってきた。気温が高くなるにつれ次第に個体数が増え、活発なテリトリー争いが起きた。ふとそれらの中に妙に黒っぽい個体が混じっていることに気づき、どうもこれが複数いるように見えた。早速ネットを出して採集してみると、黒っぽく見えた個体は腹部のブルーの斑紋が通常より深く鮮やかなブルーで、胸部の明るい黄緑色紋も同じくブルーの紋。一見してオオルリとは異なる印象を受けた。次々に飛来する個体を捕獲して調べると、黒っぽく見える個体は全て上述した個体の特徴を示し、それ以外の個体は明らかなオオルリボシであった。これは何なのか?友人が話してくれたヤンマは、明るく映える空色だった様なので、これとは違うようだが。結局、話にあったようなヤンマは現れず、これがそのヤンマなのかと思いつつ、早速帰宅してこの興味深いヤンマを調べてみることにした。            

 しかし、ここまでは良かったのだが、残念ながら比較するオオルリボシヤンマの標本が手元にない。桧枝岐の個体はどの個体も(一見オオルリボシに見える個体でも)前胸部の翅胸前面条紋が消失ぎみであることから、普通のオオルリボシ標本が必要と考えた。自宅近くで採れるところはないか?まさに標本を持っていないとこうなる、の典型である。この日から長いオオルリボシヤンマ採集の1週間が始まった。とにかく、こういう状況になると簡単に採集できないのが常である。どこにでもいるはずのオオルリボシヤンマがとうとう採れないまま翌週の土曜日を迎えた。こうなったら郡山市というよりは地理的にもう会津地方に近い湖南町の溜池に行った方が良いと考え。一路車を飛ばして湖南町に向かった。さすがにここまでくればオオルリは、と期待して堤をあがって見渡すと、いない、全然いない!いやいや?1頭飛んでいる。堤に沿って旋回している。近づいて難なく採集。まあ1頭ありゃと、とネットを覗くと、あっと驚く為五郎~!何とこれは桧枝岐で出会った謎のトンボではないか!何でここにいるのだ!友人の話以来、このトンボは桧枝岐の謎のヤンマというイメージができ上っていたから、こういうのがここで採れてはダメなのである。

 こうなると、このトンボはオオルリと混じり合って広く分布するヤンマなのであろうか?しかし、もしこれがオオルリボシの個体変異なら、このような形態をしたオオルリボシはこれまでに当然報告されていたはずだ。次々に新たな疑問が出てきたが、とにかくまず、詳細にオオルリボシヤンマとの比較をおこなってみることにした。また同時に、関連する文献やネット情報を集めることにした。そして私が調べた限りで、体色については東北から北海道にかけてかなり胸部の紋が青くなる個体が混じることが分かった。しかし、それらが今回のヤンマと同一種なのかは分からない。また、全国的に前胸の̪翅胸前面条紋の形は消失ぎみから明瞭に現れるものまでかなりの幅があることが分かった。今回のヤンマは単なる同種内の遺伝的な形質の発現の結果なのか?ますます調べてみる価値が出てきた。

オオルリボシヤンマとの形態的比較

調査に用いた謎のヤンマ(以下問題種)は桧枝岐村産3雄、郡山市産1雄、比較標本としたオオルリボシヤンマは只見町産2雄、郡山市産3雄である。問題種間の形態的特徴は共通して現れており、個体間に差異はなかった。以下に部位ごとに結果を記す。

翅脈:基本的に両種とも差異はないといえる。翅脈は同じ種内でもかなり変異があって(脈数とか,室数について)、さらに属が同じであれば、それぞれの種間に決定的な差が見られないという特徴がある。両者については下に示したように、大差が無いように見えるが、若干肛絡室の形が異なる。また肛三角室は両種共に2室からなるが、問題種の方が室を隔てる脈がより外縁に寄る位置にある等の違いは認められる。

                     

             上:オオルリボシヤンマ 下:問題種

頭部:形態が異なることはなかったが、詳細にみるとオオルリボシヤンマ自体、後頭後縁部のラインや前額の色彩や現れる斑紋にかなりの変異があって、問題のヤンマの形態はこれらの変異内に含まれることがわかった。ただ複眼の色はオオルリボシヤンマが緑青なのに対して問題種は深いブルー。

胸部:翅胸前面条紋は問題種においては非常に細くなっていて、一見通常のオオルリボシヤンマのそれとは明らかに異なる。しかし、同じ池で採集したオオルリボシヤンマと思われる個体の中には同様なものも見られた。さらに、ネットにおける調査でも、まれに細くなる個体の写真もあるため、この部分は問題種のみにみられる特徴とは言えないかもしれない。胸部の2つの青班は若干問題種の幅が狭く、その分地色の黑が広くみえる。

腹部:第1~3腹節側面の斑紋の形状はほぼ同じだが、第1節背面にある斑紋は消失している。第4腹節~9腹節までの斑紋は色が明らかに深い瑠璃色で異なるが、斑紋の形状や大きさは、オオルリボシヤンマの変異内に収まった。第10腹節背面には1個の三角形の突起をそれぞれもつが、オオルリボシヤンマは頂点がやや鋭く尖っているのに対して、問題種はなだらかで丸みがある。

 オオルリボシヤンマと問題のルリボシ系ヤンマ

         
         第10節腹部背面背面の突起. 左 オオルリボシヤンマ, 右 問題種

尾部付属器:付属器を真上から見ると、問題種はオオルリボシヤンマに比べ上付属器の幅が広く、先端の形状も異なる。さらにオオルリボシヤンマのように先端が鋭く尖ることはなく、なだらかな突起を持つ。真横から見ると、オオルリボシヤンマに見られる上面の5つの小突起は、問題種でわずかにそれと分かる程度である。また、オオルリボシヤンマに見られる先端部の鋭い突起は問題種でわずかに突出しているにすぎない。一方、下部付属器も問題種の方が明らかに幅広で、先端は尖らない。                    

         上部付属器の背面と側面からの写真. 左 オオルリボシ, 右 問題種
                                                             
                                    下部付属器の背面からの写真. 左 オオルリボシ, 右 問題種        


以上、各部位について比較検討したが、オオルリボシヤンマに対して相違点をまとめると以下のようになる。

1 胸部、腹部の斑紋は濃いブルーで、いかなるオオルリボシヤンマよりも濃い色彩である。

2 腹部第1節の背面の斑紋は消失。

3 腹部第10節背面の突起はより大きく頂上がなだらかで丸みを持つ。

4 尾部上付属器は真上から見ると幅広く、先端は鋭く尖らない。さらに、真横から見ると先端にかけて上面にある5つの突起は痕跡程度である。

5 下付属器はより幅広で、先端は尖らず丸みをおびる。

 桧枝岐村および幸か不幸か郡山市で得られた謎のルリボシ系ヤンマについて検討をおこなったわけであるが、もしこれが東南アジアあたりで採れるヤンマの類であれば、別種としてしまいそうな気がする。しかしここでセーブをかけるのが、以下の重要な文献 Karube, et al.,( 2012)の存在である。彼らは日本産トンボの分類学的検討を核・ミトコンドリアDNA解析を用いておこない、日本産6種のトンボを新たに分類学的に整理した。そしてこの中にオルリボシヤンマについての記載がある。それによれば従来、日本固有種として扱われてきたオオルリボシヤンマ Aeshna nigroflavaは、ヨーロッパからロシアまで広く分布するAeshna crenataであったとして、これまでの学名 Aeshna nigroflavaをシノニムとするものであった。論文には形態的に安定した差異が認められなかったと記述されているが、示されたフィンランド、ロシア、北海道および本州産の尾部付属器はかなり形状が異なり、本当に全部同じ種なのかと疑いたくなるほどである。これだけ形が違うものでも遺伝子的には同種であるとなると、今回の謎のルリボシ系ヤンマの判断も自ずと消極的になってしまうのである。これだけ違う形態をつかさどる遺伝子の構造も同じなのだろうか?もし同じなら、地域的に異なった形質が現れるのはそれに関与している複数の遺伝子の働きに強弱があって、その強さは地域的に異なるとでもいうのだろうか?

 結局、今回の謎のルリボシ系ヤンマの正体を明らかにすることはまだ解決しなければならないことが多くあることが分かった。確かにいくつかの違いは明らかになった。しかしこれが種の違いに由来するのか、あるいは単なる遺伝的発現の結果なのか、私にはわからない。

 仮にこの問題種がオオルリボシヤンマで、ある遺伝的な形質が発現した型であるとすれば、むしろ遺伝的にこのような個体が、一般のオオルリボシヤンマの個体群の中に人知れず混じっていること自体が問題なのである。

 今回、この問題に際し、オオルリボシヤンマを初めて詳細に見ることになった。いろいろの部位に個体差があって、一様でないことも分かった。なにより、日本産のトンボはこうだという固定観念(それはこれまでの図鑑や文献からの知識)が先行し、種自体をじっくりと見てこなかったということを痛感した。やはり採ってみるべきものはちゃんと採って自身の目でちゃんと種の形態的特徴を認識しなければだめだということである。今後オオルリボシヤンマを採集したり、観察する場合、より青い個体が混じっていないか、そしてそれは今回示した特徴を有していないか確かめる必要がある。

                                                 引用文献

'Karube, H., R. Futahashi. S. Sasamoto & I. Kawashima, 2012. Taxonomic revisions of Japanese odonatan species, based on unclear and mitochondorial gene genealogies and morphological comparison with allied species. Part 1. Tombo, 54 : 75-106.






















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