2021年2月16日火曜日

有機農業とトンボたち (このブログはパソコンでご覧ください)

有機栽培の水田はトンボのオアシス                             

 職場の近くに普通の水田 (以下、慣行栽培)と有機栽培の水田が設置してあります。水田は平野部にあらたに造成された新しい水田で、周辺に林や池沼はありません。両者は水路と農道によって5m以上隔てられています。有機栽培の田んぼも前は慣行栽培の水田でしたが、ある年から有機栽培がおこなわれるようになりました。その3年後あたりから有機の水田には多くのトンボが見られるようになり、大変驚きました。5月中旬の田植時期にはどこから飛んできたのかオツネントンボやホソミオツネントンボが見られ、6月に入るとモートンイトトンボやアジアイトトンボがたくさん飛び出しました。                    

               平地の水田地帯に作られた有機栽培の水田 郡山市日和田町

                                           

                                        アジアイトトンボの交尾と産卵  29/7/2019 郡山市日和田町       

            

               モートンイトトンボの交尾と産卵 同上

 そして6月下旬から7月いっぱい、ノシメトンボから始まってマイコアカネとアキアカネが次々に羽化しました。さらに7月下旬にはアオイトトンボも少ないながら確認できました。8月上旬になると連結したノシメトンボが見られだし、9月に入るといつ産卵していたのか、ギンヤンマが羽化してくるといった具合です。そして、10月に入って本格的に稲刈りがはじまると、いよいよ水田の主役のアキアカネが産卵に訪れます。このように周囲に森も池沼もなく、圃場整備された水田地帯の中に造られた有機栽培の水田は、いつの間にか多くのトンボの生息地になっていたのです。

 一方、隣接する従来の慣行栽培の水田には、まったくといっていいほどトンボの姿は見られませんでした。わずかに8月以降、9月までは何回かシオカラトンボとノシメトンボの連結産卵を見たにすぎませんでした。周辺の水田にはほとんどトンボが見られず、いても一過性で、定着していませんでした。この有機栽培の水田だけにトンボが集まっている。ここは、いわば水田という砂漠の中のオアシスなのです。                                

                                                         夕刻産卵に訪れたギンヤンマ

                          

                  産卵場所を求めて水田内を連結飛翔するアキアカネ  

トンボにとっての有機栽培と慣行栽培の違い                              

 この違いはどこから来るのでしょう。当然有機栽培の水田は農薬を一切使用していませんから、農薬の影響が無くなったためとも言えるでしょう。また、慣行栽培ではアカトンボ類の羽化時期である6月下旬から7月上旬にかけて田面水を落としてしまう(これを中干といって、この時期に水田の土壌表面ををカラカラに乾かすことで、イネの過剰な茎数を減らすことや、土壌中の窒素発現を促すなど良質なコメ作りには欠かせない技術といわれています)ことも、トンボ(ヤゴ)にとっては致死的な影響を受けるともいえるでしょう。つまり、両者の栽培の違いは、農薬の散布の有無と栽培方法の違いが大きいということが言えます。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                     水田の農薬

 水田に使用される農薬には殺虫剤、殺菌剤そして除草剤の3つがあります。特に最近話題となることが多い、殺虫・殺菌剤(混合してある)に育苗箱施用剤というのがあって、これがアカトンボの激減の元凶だとする話を耳にする方も多いのではと思います。特に平野部の圃場整備がされた地域ほど、この薬剤が使用されるようです。福島県内の水稲栽培において、本田内での農薬散布だけでも標準散布回数で11回も行われています(他県もだいたい同じ。農水省のホームページ www.maff.go.jp/j/jas/jas_kikaku/attach/pdf/tokusai.pdfを参照)。これを半分以下にできる箱施用剤の導入は画期的でした。特に最近開発された新殺虫剤(フェピオニルなど)は人への毒性が低く、反面イネ体内に長期間残効し、しかも殺虫スペクトルが広く多くの害虫に有効だといいます。種まき時に一度散布すれば主要な病気と害虫をいっぺんに防除できるよう工夫され、さらに除草剤の箱施用剤もありますから一緒に散布することができます。県内でも水稲における農薬の主流になってきました。

箱施用剤はトンボのヤゴに強い毒性

 現在、福島県におけるアカトンボの発生数は関西地方の激減ぶりに比べると特別減少したということは感じられません。しかし、上記のように箱施用剤を使った慣行栽培での水田からは全くトンボのヤゴは得られませんでした。以前、私はある箱施用剤(成分フェピオニル)を用いて散布基準である散布量50g/苗箱を、種籾1粒当たりの薬剤量に換算して、さらにイネ1株当たりの水田の水量に溶かしてアキアカネの卵の孵化を観察したことがあります。詳しいことは忘れてしまいましたが、大部分が孵化時に卵殻から完全に出られずに死亡し、孵化しても当日に全て死亡した記憶があります。うわさには聞いていた箱粒剤の威力を実感することになりました。このへんは農薬や環境化学の専門の学会誌に詳細な報告が多数出ています。

除草剤の影響、藻類がトンボの生息に必要なこと

 有機栽培の水田では殺菌、殺虫、および除草剤を使用しません。しかし、慣行栽培から有機栽培に移行した際に除草剤だけを散布していた水田がありました。ここは雑草が目立っていたため、除草剤だけを2年間散布したのです。3年目、この水田ではイトトンボ類の発生が非常に少なく、またアカトンボ類の羽化数も、隣り合う有機栽培の水田に比べ明らかに少ないことに気が付きました。殺菌・殺虫剤を散布していないのにもかかわらずです。おかしいですね。
                                                              
                    有機栽培の水田、水中に藻類が繁茂しているので水中が黒く見える 20/6/2017 
                                                                                                                     
                                除草剤のみを施用した水田、全く藻や植物がないため、田面が見える 同上

 有機栽培の水田を良く観察すると、苗の周辺や株間にたくさんの藻類が発生していました。多くはアオミドロで、それが大繁殖し水面に浮かんでいます。また一部には、水中に最近珍しくなったシャジクモが大発生していました。水面に浮かんだ藻類を見ると微小なハエ目の成虫がその上を飛び交い、幼虫がその上を這いまわっていました。藻の腐敗したような箇所を摂食しているのでしょう。また藻類の水中部分にはミジンコや小さなハナアブ科の仲間、さらにガガンボ科の幼虫もイネの茎周辺の有機物にたくさん見られました。イトトンボ成虫の発生期間中、それらの小昆虫類を食べているイトトンボ類をいくつも観察できました。モートンイトトンボやアジアイトトンボはイネの株間や畦畔に生えるセリやコナギやカヤツリグサ類群落内で活動し、終始水田内で生活するため、餌となる微小昆虫類の存在は極めて重要だと思われます。こうした藻類の存在や、畦畔部に繁茂する雑草の存在は未熟個体の活動の場となり、これらが、イトトンボ類の水田における定着には絶対必要なのでしょう。もちろん、これら微小昆虫類の幼虫はイトトンボ類やトンボ科のヤゴにとって重要な餌となっているはずです。これを除草剤で雑草と共に一掃すると、餌となる微小な昆虫類の発生が無くなってしまいます。また、畦畔部での休息場所も無くなり、たとえ殺虫剤の影響がなくとも、生息には不適となるのだと思います。
                      
                  除草剤を施用しないため藻類が発生する。
                         
             除草剤だけ施用した水田 藻類はおろか他の水生植物は全く見られない
                     
                    
シャジクモが密生した有機栽培の水田
                     
          
    小昆虫の発生地であるアオミドロが水面に繁茂した有機栽培の水田
                     
   
                             有機栽培の水田の畦畔に生えるセリに止まるモートンイトトンボ

       有機栽培の水田がトンボに本当に住みよく環境にやさしいわけではないこと

有機栽培でコメを栽培する農家は別にトンボの楽園づくりを念頭に栽培しているわけではありません。多くの有機農家は確かに環境に配慮し、健全な作物で、安全な作物を消費者に食べてもらいたいと考えて、有機農法を取り入れています。しかし水稲栽培では先に示したように除草剤を使わない有機栽培は雑草害によって収量が慣行栽培の40~70%にしかなりません。したがっていかに雑草を除去するかは農家にとっては死活問題なのです。慣行栽培は除草剤を用いますが、有機栽培はそれを使わないだけで、この雑草防除は両農法にとって避けては通れない共通の問題なのです。
                   
           移植直後の有機物の散布と田面に沈んだ米ぬかペレット
 
有機栽培の雑草防除で一般的に広く行われている方法は、田植え終了後間もなく、有機物(一般には米ぬかや大豆を粒状にしたもの)を大量に散布して、雑草を枯らす方法です。有機物は水中で微生物によって分解し、大量の酸素が消費され、たちまち田面水は嫌気状態となって、それは土壌表面でさらに強く作用します。最初の分解に関わった好気性細菌は次第に死滅して、次に酸欠状態で活発に活動する嫌気性細菌によって有機物の分解がさらに進みます。その結果有機酸(主に酢酸)が生成されてきます。この有機酸によって発芽間もない雑草が枯死するのだと言われています。その真偽はともかく、田面土壌は強い還元状態となり、一帯は酸欠となって生き物のほとんどが死滅してしまいます。規定量を撒けばヤゴもほとんどが生き残れないでしょう(幸い、規定量をしっかり撒いている農家はあまりいません。重労働ですから)。田面水は腐敗臭がします。これは決して生き物に優しい農法でないことは誰が見ても明らかです。さらに、最近は除草機械が進歩して、補助事業を利用して、これを購入する農家が増えてきました。しかし、除草時期が微妙です。適期は6月中下旬です。アカトンボ類の羽化時期に当たります。かなりの個体が除草機の高速回転する刃で傷つくでしょう。

                                                           
                                              高性能の除草機、7月まで2回程度作業する
                  
水田の畝立て耕起の作業風景

さらに、冬季間、水田を畑のように耕耘して高い畝を作って雑草の種や塊茎を乾燥させて死滅させる農法がおこなわれる事例も増えました。これによって、土壌の乾燥と共にアカトンボ類の卵まで乾燥に曝され、孵化率が大きく低下します。このように、慣行栽培でおこなわれる農薬散布や中干ほどひどくはありませんが、決して有機栽培がトンボや生き物あるいは広く環境にやさしく、環境負荷が少ない農法だとは言い切れないのです。

                水稲栽培における生物多様性調査と環境保全型農業の問題点                                            

1993年日本は国際条約である生物多様性条約を締結しました。これによって、日本はあらゆる分野で種の多様性を念頭に環境保全の取り組みを行わなくてはならなくなりました(環境アセスなんかはこの影響で行われるようになりました)。農業分野も、農水省が生き物が住みやすい農業を目指そうとする各種の施策をおこなっています。最近、一般国民が見てもが分かりやすいよう、水田ではクモ、トンボ、カエル、水生昆虫等の生物指標を決めて、その個体数をもとに水田の生物多様性度を調べ、より生物多様性のある水田づくりを広める取り組みを始めています。
 一方、農水省は環境保全型農業の普及という取り組みを20年以上も前からおこなって、環境になるべく負荷をかけない農業の普及を目指しています。これは先の水田の生物多様性を目指す農業の目標と一見、一致するように見えます。しかし、この取り組みの最大の目的は農薬と肥料の削減を目指したもので、これまでの地域の標準的な作物ごとの農薬の使用回数(成分数)を20%あるいは50%減らそうというものです。前述の稲作ではまさにその切り札として、箱施用剤の活用・普及が図られています。したがって今後、環境保全型農業が普及すればするほど水田の多様性は失われ、ますますトンボにとって住みにくい環境になってしまうかもしれません。このことは農水省が生物多様性条約締結以後、同じ目標を目指したはずの2つの施策が、このままでは真逆の結果を招き、自ら首を絞めかねないことになるのではと危惧します。

早朝羽化したアキアカネ 福島でもこうした風景が見られなくなるのだろうか















アキアカネの配偶行動 (2)

  精子置換はいつおこなうか?  今のところ、新井論文が非常に的を得ているように思えました。このままではやはり妄想論でしかなかったことになってしまいます。そこで改めて、新井さんが述べておられる、ねぐらでのアキアカネの配偶行動を再度観察してみることにしました。           ...