2021年10月21日木曜日

アオヤンマ Aeschnophlebia longistigma Selys, 1883、驚異の飛翔能力

驚異の飛行術 

 福島県におけるアオヤンマ Aeschnophlebia longistigma Selys, 1883 の生息地は会津坂下町、会津若松市、磐梯町、北塩原村など会津地方と浜通りの相馬市に限られていていますが、近年、生息地が特に猪苗代湖周辺で広がっているように思います。かつては確認できなかったような池沼で、本種がかなり発生していたりすることがあります。アオヤンマが属する Aeschnophlebia 属には全部で3,種が知られていましたが、最近は本種とネアカヨシヤンマの2種のみに整理されています。国外では中国、朝鮮半島およびロシアの限られた地域にしか分布していません。
             
     本種の羽化時刻は早く,22:00前から始まり早朝にも見られることがある (7/7/2020 相馬市)

 アオヤンマの魅力は何と言っても圧倒的な質量感。そしてヤンマには珍しい鮮やかな緑(青色)の体色だと思います。さらに私の場合はその独特の飛翔に魅せられます。あんなにでかい体なのに良くもまあ、密生するヨシの群落内を器用に飛ぶものだと。雄はどのように飛び回っているのか全体像は分かりませんが、探雌行動は明らかに飛翔するコースが決まっていて、でたらめにヨシ群落内を飛ぶことはありません。やはり、ヨシが風などで帯状に倒伏したようなところや、ヨシ原の外周など、さらに人が歩いてできたヨシ原内の踏み跡などを好んで飛びます。しかし、必ずヨシ群落の中に入り込みながら雌を探します。また、ヨシ原の上を飛んでいた個体が翅をすぼめて、ストンとヨシ原に飛び込む姿を目にすることもあります。
                     
 
          何とかフレーム内に収まったアオヤンマの探雌飛翔 (27/7/2018 相馬市)
                                                              
  
                                                                                                   
 
                                                       探雌飛翔( 6/8/2021 相馬市)

 密生したヨシの茎や葉を避けながら飛ぶだけでも、集中しなくてはならないのに、雌を探すことも同時にこなしているのは驚くべき飛翔能力です。
 近年、超小型飛翔体 MAV(Micro Air Vehicle)の研究が盛んに行われていて、特に軍事部門で研究・開発が進んでいると聞きます。もちろん小型ドローンなどプロペラ浮揚・推進の飛翔体はあるのですが、このMAVは主に昆虫のように超小型羽ばたき飛翔するものを対象とするそうです。そしてそれらの研究対象として、トンボの飛翔メカニズムの解明が急速に進んで、多くの事柄が明らかになってきました。
 それらを見るとトンボの飛翔、特に羽ばたきの機能には大きく2つ特徴があって、翅を上下に動かす運動(フラッピング)と翼をねじる運動(フェザリング)があるそうです。トンボの翅は御存じのように翅脈とその間を埋める薄い膜からなっています。その中でも特徴的な構造として、縁紋と結節があります。一般に固定翼の場合、高速で飛べば飛ぶほど空気との摩擦によって翼面に振動が発生し、しまいには翼を破壊するほどの異常振動となります(フラッター現象)。フラッター発生を抑えるために、飛行機は翼構造を強化したり、壊れやすい補助翼などにマスバランスと呼ばれる重りを装着してフラッター破壊を防ぐ対策をとっています。写真は旧日本海軍の零式戦闘機21型に装着されているマスバランス(赤矢印)を示しました。ジェット旅客機などはエンジンそのものの重さがフラッター防止の役目をはたしているそうです。
                   

 トンボにおいても高速になるとフラッター現象が起き、その防止に縁紋の存在があって、高速飛翔を可能にしているとのことです。しかし、これはトンボを模した大型の固定翼を風洞内で実検したもので、実際のトンボの飛翔の動きを再現した状態でおこなったものではありません。また実物大での検証もほとんど行われていないようです。縁紋についてはもっと違う機能があるのではないでしょうか?良くあるトンボの飛翔について翅の動きをスローモーションで写した画像を見ると、縁紋はフェザリング時の翼端補強と共にフェザリングがスムーズに翼端から始まることに重要な役割をはたしているのではと思えるのですが。どうなのでしょう? 
 一方、結節ですが、これはより自然にフェザリングが起きるための機能を持つと言われています。トンボの翅(不均翅亜目)では基部から結節までは前縁のリブを除けば3本が多く、一方結節から先端部は2本、しかも細くなる。この結節がわずかに折れ曲がる構造によって翼端からねじれが自然に発生して強い揚力が生じるとされます。
 このようなことを踏まえて改めてアオヤンマの翅を見てみると、いろいろ特徴がみえてきます。
                     
                              アオヤンマ♂(左)とルリボシヤンマ♂(右)における結節(赤三角)の位置の比較
          基部から結節までと結節から翼端までの長さの比を示した.アオヤンマの方が結節の位置が    
            翅の内側にあり、後翅ほどその傾向が強い

           アオヤンマの翅の機能 フェザリングを起こす部分は後翅がより広い

 アオヤンマのヨシ群落内部の飛翔のスピードは大変遅く、体を前後左右に傾けながら翅を時には完全にたたむようにして密生するヨシの間をすり抜けます。ホバリングの場合は翅の運動周波数は高くなってフラッピングの揚力の割合が高いでしょう。しかしヨシ内部のすり抜け飛翔の場合はホバリングはせず、非常に低速で飛び抜けますので、フラッピングよりフェザリングの揚力が重要になると考えられます。
 よりフェザリングによる揚力を得るためには、結節から翼端にかけての翼後縁部の面積が大きくなくてはなりません。そのためにアオヤンマは結節の位置がヤンマ類の中では際立って前縁中央より内側にあることで翼面積を大きくしているのだと思います。さらに前縁にはより大きな負荷がかかるので縁紋が細長く大きくなって補強の役目をはたしているのではと考えられます。しかし、翼の構造から得られる揚力だけで密生するヨシ内部をすり抜けるように飛ぶには不自然さが残ります。
                    
              アキアカネ前翅における翅胸背面の構造 A:humeral plate B:axillery plate
                                               a: 前縁脈 b: 亜前縁脈 c: 径脈+中脈 d: 肘脈
 
 アキアカネの翅で見てみます(アオヤンマを採集しなかった。失敗!)。humeral plate からは 前縁脈 と 亜前縁脈が、axillery plate からは 径脈+中脈 と肘脈が繋がっていて、それぞれのプレートが独立して動くことができます。humeral plate は上下運動だけでなく、前縁脈を強くねじり下げることができます。一方、axillery plate は径脈+中脈 と肘脈を上下に動かすだけでなく、全体を強くねじり下げることができ、この運動で極めて大きなフェザリングを得ることができるでしょう。翼の付け根の特定の筋肉が独自に翅脈を動かして、結節機能による揚力に加え、より大きな、そして状況に応じて機敏で微妙なフェザリングを自在に起こしているのだと思います(これはアオヤンマに限ったことではなくトンボ全般の特徴として)。この機能をフルに使わなければ、結節機能から生まれる揚力だけでヨシの間をすり抜けることは出来ないのではないでしょうか。
 他種には見られない独特の飛翔を行うアオヤンマは、この特殊飛翔を行えるよう翅の構造が他のトンボ類にはみられない独特の構造に進化したと考えられます。そして、それを支える大きくがっちりした胸部の強靭な飛翔筋の存在は、同時にあの太い腹部の構造と重さを必要とし、腹部が胸部の飛翔時の振動を相殺しているのだと思います。
                      
                フイルム時代に撮った交尾 (7/8/1990) 会津坂下町袋原
                      
                       
                     
     
アオヤンマの産卵は生きた植物組織に行われるのが普通だが、上は枯死した竹の枝に産卵しようとしている
                   28/7/2018 相馬市








 

2021年10月14日木曜日

ハッチョウトンボ Nannophya koreana Bae, 2020の配偶行動

 かわいらしいハッチョウトンボ Nannophya koreana Bae, 2020

 ハッチョウトンボは時折新聞に登場しては話題を振りまくなど、意外にこのトンボの名前を知っている方は多いのではないでしょうか。なにしろ小さくて可愛い姿は、初めて見る人にとって、深く印象づけられることでしょう。福島県では全県下に、海岸近くから高山の湿原まで広く分布していますが、生息地はむしろ限られるように思います。  

         繁殖域である開放水面から離れて活動する若い雄 (29/6/2018, 会津若松市)        
                                                                   
                                                  ほぼ成熟した雌

 福島県では6月上旬から8月下旬までが成虫の発生期で、生息地での個体数は多く、発生中期の7月下旬には未熟から成熟した個体まで入り混じって観察されます。県内におけるハッチョウトンボはいろいろな環境の湿地に生息しますが、中でも長年にわたって湿地の環境が保たれているミズゴケ湿原・湿地では毎年安定した個体群を観察することができます。
 本種は体がわずか体長が20mm程度で、活動域も狭く、観察エリアはコンパクトにまとまっていています。この中で、多くのトンボ類に共通する生態をいっぺんに見ることができます。
 とっておきの本があります。少し古い本ですが、東和敬・生方秀紀・椿宜高氏による「トンボの繁殖システムと社会構造」(東海大学出版会)という本があって、この中にハッチョウトンボの生態について研究された内容が詳しく紹介されています。実は今日、私たちが知ることができるハッチョウトンボの生態は、この本に全て解説してあると言っても過言ではないのです。
                      
                     
                  未熟な雄とやや黒化した雌
 
 本の中でハッチョウトンボを担当した椿さん(元京大教授)によると、
 1 本種の雄は朝8~9時頃水域にやって来て、縄張りをはる。
 2 雌は晴れた日の12時をピークに水域に飛来する。
 3 縄張りを張る雄と縄張りを持たない雄(非縄張り雄)が居る。
 4 体の大きい個体が縄張りを独占する。
 5 縄張りは決まった場所に形成される。
 6 縄張りはランクがあって、上位ほど体の大きな雄が占める。
 7 上位の縄張り場所ほど占有者の入れ変えが激しい。
 8 下位の縄張り場所ほど 自発的放棄が多い。
 9 上位の縄張り場所ほど交尾頻度が非常に高い。
10 上位の縄張り場所ほど非縄張り雄の侵入が多い。
11 非縄張り雄は上位縄張り場所に積極的に侵入して縄張り雄の眼を盗んで交尾する。
12 縄張りの乗っ取りはより若く大きな雄によっておこなわれる。
13 大きな雄ほど交尾回数が多い。
14 雌の産卵場所の選定は縄張り上位の場所と一致する。
15 雄の産卵警護行動は雌の縄張り内からの飛び去り防止の意味が強い。

 と、ハッチョウトンボの配偶行動がそれぞれ詳細に解説されています。これを読むと、ハッチョウトンボの撮影をしていて、思い当たる事柄がたくさんあります。ああ、これが椿さんたちが述べていた非縄張り雄たちなんだな、とか。この場所での交尾は縄張りを持たない雄がうまいことやったのだな、とか。
 この本はトンボ類の生態で重要な部分を占める配偶行動について、多くの示唆を与える内容になっています。特にこのハッチョウトンボの部分は、他のトンボ類の研究や観察をする際の参考になるものです。さらに他の章も非常に重要なことがらを含んで、トンボなのに、なぜか私たちの生活や社会のそれとだぶって見えてしまうのは私だけの印象でしょうか。
 この本は特に若い方々にぜひ読んでもらいたいと思います。内容的に難しい部分もあるのですが、参考文献と付け合わせして読破して欲しいと思います。
                    
               縄張り内で雌の飛来を待つ (15/6/2018) 会津若松市
                     
 非縄張り雄が縄張りが張られた水域に侵入して、縄張り雄のスキをついて雌を捕らえ、周囲の草原に移動して交尾する例
                      
       縄張り雄が縄張り内に飛来した雌を捕らえて交尾した. 縄張り雄の交尾頻度はとても高い
                     
         交尾後産卵に移った直後、ライバル雄が産卵中の雌を捕らえようと縄張り雄に挑む
                     
             縄張り雄が侵入雄を排除して雌を警護する
                          
                        産卵を見守る縄張り雄

           産卵に疲れ、休む雌を監視して縄張り内に留めようとする雄

                 縄張り雄の監視のもと再び産卵に飛び立つ雌


 
 













アキアカネの配偶行動 (2)

  精子置換はいつおこなうか?  今のところ、新井論文が非常に的を得ているように思えました。このままではやはり妄想論でしかなかったことになってしまいます。そこで改めて、新井さんが述べておられる、ねぐらでのアキアカネの配偶行動を再度観察してみることにしました。           ...