(2)何が分布境界(北限)を決めるか
さて、前述したアオモンイトトンボになぜ分布北限ができるのかについてですが、このことに関して、トンボ以外の昆虫をも含めて、具体的なデータを示した議論は非常に少ないとうことが分かりました。アオモンイトトンボを検索すると必ずヒットする東北大学の高橋佑磨さん(現在筑波大学教授)が行った研究 ( Takahashi et al., 2016 ) をここで紹介し、なぜ分布境界線ができるかについてみていきたいと思います。
まず論文では高橋さんは全国各地のアオモンイトトンボを収集して、その遺伝子の多様性を調べる一方、個体を計測して腹長および翼面荷重と緯度との関係を調べました。その結果、下に転載する図のように緯度が高くなるにつれて遺伝子の多様性が失われ、さらに翼面荷重が大きくなって飛びにくくなることが分かったとしています。特に緯度が北緯35°辺りから両形質が急激に変化することを突き止め、この緯度付近に分布境界線ができるのだろうと推察しています。
一方、この研究では同属で分布が全国的なアジアイトトンボを比較対照で用いています。アジアイトトンボは各地域の温度適応が出来ていることから、遺伝子の多様性は緯度が高くなっても失われることがなく、また翼面荷重が高まる事もないことから分布境界線は見られないと述べています。
この論文は下図にあげる基本的な論理に基づいて考察されています。この生態学的な論理は数学的な考えから導き出されていて、特に数に弱い私にはその式の意味は分かりません。
図の説明の部分には専門用語( 例えば migration load: 分散荷重、founder effects: 創始者効果=ある個体群から新しい個体群が分かれた時、その個体群の個体数が非常に少ない場合、元の個体群より遺伝子の多様性が少ない個体群が出来ること)、があって単に訳しては意味が分かりませんでした。特にAの図はこの論文の骨子となる非常に重要な考えになりますので、変に訳したのでは問題かと思い、そのまま載せました。緯度や標高でトンボに影響する最も大きな因子は温度であることは疑いないことであると思います。それによって遺伝的多様度も高まったり低くなったりすることもあるのでしょう。ただ、翼面荷重が高まって飛びにくくなるとはどういうことなのでしょう?このことが分布拡大を妨げる要因となるのでしょうか?翼面荷重が高まって飛びにくくなったアオモンイトトンボの本来の行動が根本的に変わったりすることはあり得ないと思います。むしろ翼面荷重の点で考えれば、高速性が高まりますからある意味、逆に速く遠くに飛べて分布拡大に寄与するのでは?遺伝的多様性の減少は逆に厳しい環境への対応のため、必要な機能をより選抜・強化しているという考えは成り立たないのでしょうか?この論文では遺伝子の多様性や翼面荷重の違いが地域ごとのアオモンイトトンボの行動に及ぼす影響が示されていない点が気になります。
とにかく分布北限(あるいは南限)がどうしてできるのか、何も知らなかった私にとって、こうした考えがあるのかということでとても共感できました。多分、アオモンイトトンボに見られる♂型メスの存在とその繁殖生態も今回の研究(分布境界はなぜできるのか)に深く関係しているのだろうと思います。
トンボ好きの人でも生態学を学問として本格的に学んだ人は非常に少ないのではないかと思います。この論文はアオモンイトトンボという、なじみの深いトンボを対象にして、分布を妨げる要因が何なのかを明らかにしようと試みています。トンボ屋としても興味が持たれる事だと思いますので自分なりに考えをめぐらすのも、トンボを知る上で時として必要なことではないのかなあと思いました。
(A~D): アジアイトトンボ, (E~H): アオモンイトトンボ, 縦軸が異なる
分析法による遺伝子の多様性指数, 横軸が緯度
(A~B): アジアイトトンボ, (C~D): アオモンイトトンボ, 緑が♂, 赤が♀
水色が♂型の♀ (Takahasi et al., 2016より)
引用文献
YUMA TAKAHASHI et al. (2016) Lack of genetic variation prevents adaptation at the
geographic range margin in a damselfly. Molecular Ecology 25: 4450-4460.
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