ヒメクロサナエ
福島県におけるヒメクロサナエとモイワサナエはほぼ全県下に分布しています。ヒメクロサナエはムカシトンボが生息する山地の原流域から丘陵地の河川上流部まで広く見られ、一方のモイワサナエは山地の湿地や水路に見られます。新緑のころ、山間部の湿地を流れる細流の最上流部を訪れると、もはやそこは岩が蘚苔類に覆われ、淡い光の中、一面緑の桃源郷のような感覚に陥ります。
ヒメクロサナエはそのような細流脇の湿った、表現が難しいのですが、木陰になる数十平方cmほどの、植物がほとんど生えていない礫~泥状の地面に♀が飛来して産卵します。
♂は細流脇のフキやウワバミソウなどの低い位置の植物の葉や、流れの中の石などに止まって♀の飛来を待ちます。♂たちは次第に♀の産卵場所周辺に集まってきます。上の写真では、足跡が付いている部分が水深数cmの流れです。赤の楕円内が産卵場所となり、その場所はわずかに傾斜していて細かい礫の上に蘚苔類が繁茂していています。奥は斜面になっていて、そこから絶え間なく水が浸み流れています。
♀はかなり♂の監視の密度が高いにもかかわらず、頻繁に産卵に訪れますが、捕捉されることは少なく、午前中、飛来回数が多いような印象を持ちます。交尾は何回か目撃しましたが、いずれも産卵に飛来した♀が途中で捕捉されたもので、全て樹上に上がってしまい私はまだ詳細を観察したことがありません。
本種の産卵は非常に特異で、全サナエ中、産卵管を直接地表面に付けて産卵を行うのは、本種の他に北米大陸に分布する Lanthua parvulus と L. vernalis の2種しか知られていません。両種ともヒメクロサナエと変わらない姿をしています。最近、私はラオスで Davidius fruhstorfer という小型のサナエトンボの産卵を観察しました。ダビドサナエ属のトンボですから、ホバリングしながらの放卵かと思っていたら、いきなり湿った斜面に着地して産卵を始めました。こんな産卵はヒメクロサナエだけだと思っていましたから(産卵の写真はこのブログの裏ブログとして作成している Dragonfly research in Laos の 「Davidius Mystery (1)」2020年10月掲載から見ることができます)、大変驚きました。
モイワサナエ
ヒメクロサナエの生息地にほぼ重なるように、最上流のモイワサナエは写真のような環境に生息しています。一般的にはメインの発生地はもう少し下流で、少し開け明るい湿地の中を流れるような環境に個体数は多いように思います。
南会津町の生息地は、標高750mの渓流脇の林道沿いの樹林に囲まれた湿地です。その中を幅40cmほどの浅い細流が穏やかに流れています。所々樹林がまばらになって、明るい林床が広がる場所があり、それらが山地性のモイワサナエの生息地になります。流れの中や流畔の大小の石の表面は完全に苔むして、一帯に木漏れ日が落ちる環境です。観察に訪れた6/8の場合、朝から快晴で8:30(気温18℃)にはすでに複数の♀がそうした苔むした石の上に飛来して産卵をおこないました。産卵には♀のお気に入りの決まった場所があって、何頭もの♀が同じ石の上で産卵します。最盛期には、複数の♀が放卵した卵がコケや小さな植物の葉の表面に集まってオレンジ色の粒々となって見られます。
しかし♂はいっこうに現れず、9時過ぎに漸く流畔の葉の上に姿を見せました。ここでは陽が射さないと♂♀とも姿を見せません。陽が射すと樹上から降りてきます。開放的な湿地の個体と違って、この樹林内のモイワサナエは非常に敏感で、♂は特に待ち伏せ場所となる流れ内の石や、水面近くの葉などに飛来した直後は少しの動きで、再び樹上に上がってしまします。良く観察しているつもりでも、いつの間にか足元や直ぐ近くに飛来していて、♂どうしの争いに飛び立って初めて気が付くということが度々ありました。♀は大体産卵場所付近に飛来した時、♂に捕捉されることが多いようで、水面や流れ脇の茂みに団子状態となって落下します。そうしたペアはすぐに交尾態となって樹上にあがってしまい、まだ交尾行動を観察したことはありません。
観察している細流は山肌から浸み流れる水や小さな沢からの沢水が集まったもので、流長はせいぜい200mほどです。ここのモイワサナエはこれまで述べてきた樹林内の個体群と、その下流の明るく解放的な湿地に住む個体群の2つがあって、樹林帯の個体は湿地のそれに比べ、大きさがかなり小さいことが分かりました。おもしろそうなのこの辺に注目して観察を続けたいと思います。
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