初夏の制空権争い
5月に入ると低地から順次エゾトンボ科のトラフトンボが水辺に戻ってきます。浜通り、県南地方は上旬から、中通り、会津地方低地は中旬。そして標高500mあたりでは下旬からといった具合です。一方オオトラフトンボの方は、遅れて6月から一斉に各地で見られだすようになります。標高の高い尾瀬だと8月まで見られます。生息地は標高が大体500m以上の池沼に限られ、カラカネトンボと混生することが多いです。ただ、どういうことなのか分かりませんが、郡山市、矢吹町や伊達市などの低地の溜池にも時折現れることがあります。
当初トラフトンボとオオトラフトンボが属する Epitheca 属 はこの2種から成る小さな属でしたが、近年北米に広く分布するTetragoneuria 属の10種が Epitheca 属 に移されて一挙に12種と大世帯になりました。津田さん(2000) を見るとトラフトンボは中国と朝鮮半島にも分布しているのに対して、オオトラフトンボは朝鮮半島にいないのは不思議です。オオトラフトンボはヨーロッパからロシア、中国に広く分布するとされていますが、西ヨーロッパでは稀種となっているようです ( Askew, 1988)。
初夏のオオトラフトンボはトンボ好きにとっては外せない種類で、毎年、他県では発生地に人が集まるそうです。幸い、両種とも福島県内には広く分布して混生する生息地も多いため、私にとって新な生息地を探すことは楽しみの一つになっています。オオトラフトンボはトラフトンボに比べ、ふた回りほど大きく(中には明らかに異常に大きな個体も見られます)、一見軽快に小回りを利かせて飛翔する軽戦闘機のトラフトンボと、大馬力で強力な飛翔力をもって、うるさくちょっかいをかけるヨツボシトンボやカラカネトンボを蹴散らし、時にはクロスジギンヤンマも一掃してしまうオオトラフトンボは重戦闘機のように見えます。
♂の縄張り飛翔
一般にトラフトンボは池沼の岸に沿って♂はパトロール飛翔し、オオトラフトンボは中央部を飛翔すると言われています。しかし、観察していると、これは池沼の状況、すなわち浮葉植物の有無とその繁茂具合によって変わることが分かります。県内各地の生息地で観察すると両種とも開放水面を好んで飛翔して、ジュンサイやヒツジグサなどの浮葉植物が繁茂し水面を覆っている場所では縄張りを張りません。ですから浮葉植物が少ない池沼では岸部に強く執着するように見えるトラフトンボでも岸からかなり離れた水域でオオトラフトンボのように円を描くような飛翔を行なうことが良くあります。逆に、浮葉植物が繁茂する池沼で開放水面が岸部に広がっている場合、オオトラフトンボはトラフトンボのように岸部に沿って往復飛翔して縄張りを張ります。このような時は開放水面に何もないようなところには執着せず、まばらに浮葉植物が見られるような場所で縄張りを張ります。これは雌の飛来してくる場所でもあるからなのでしょう。
♀の産卵行動
私自身の観察例は多くはないのですが、トラフトンボ、オオトラフトンボ両種とも♀は産卵に先立って、水面すれすれに一度産卵場所を下見に飛来するように思えます。そしてこの時にオオトラフトンボの場合は♂に捕捉されて交尾する場合が多く、♀は捕捉されると、ほとんどが水面に落とされ、♂がすぐに拾い上げ直ちに交尾態(リング状)になって水域を離れます。一方残念ながらトラフトンボのオスによる捕捉の瞬間は観察したことがありません。気が付くとすでに交尾態となって水面上を飛び回っていたということが多いのです。
トンボ仲間の友人には、トラフトンボが交尾態になって飛翔するシーンをバッチリ撮影している人もいるのですが、私は全部ピンボケ写真しか撮れません。あんなにちょこまか動くやつをどーやって撮るんだろ、Mさん!
オオトラフトンボは交尾を終えると主に岸辺に飛来します。産卵場所は卵塊を引っ掛ける(絡ませる)基質が無くてはなりませんし、同時に産卵に先立って止まって卵塊を作る植物や樹木がなければなりませんから、自ずと産卵に適した水域は一定の場所に集中してきます。発生盛期には多数の産卵紐が同所的に見られます。
産卵域に突然飛来した♀は一瞬ですが、水面を確認するように飛んでから何かに止まって卵塊を作り始めます。その何かは、どうも何でも良いらしく、しばしば待ち構えている私のズボンや帽子に止まって卵塊を作ることもありました。
♀は2、3分かけて体の大きさに不釣り合いなほど大きな卵塊を作ると翅を震わせ、飛び立ちます。撮影者が動いたり、他のトンボがちょっかいを出さなければ、下見した水域近くに産卵するのですが、だいたいは卵塊を抱えたまま飛び回り、産卵に適した場所を探します。この場合、岸から相当離れた中央部付近に産卵してしまうことも少なくなく、産卵場所の選定は必ずしも私の思惑通り事が進みません。結局、このためにこれだという産卵の写真は撮れたためしがありません。前もって下見に来るのだったら、そこに産卵すればいいのにと勝手に思ってしまいます。
オオトラフトンボが池沼の中央部で縄張りを形成する場合、産卵も同じ場所で行われることが多く、よくよく観察するとその部分にまばらに浮葉植物が見えます。こうした場所なら卵塊を植物の茎に引っ掛けて引きずりやすい水面が確保されます。岸部でも卵を引っ掛ける基質がまばらで、その後引きずる水面(長さが2,30cm)が確保されていないと産卵は行われません。
これに対してトラフトンボの産卵はオオトラフトンボをスケールダウンしたような産卵で、主に岸部の植物に止まって卵塊を作った後に、飛び立った♀は付近を飛び回ることはせず、すぐに産卵を行います。この際、ヨシや枯れ茎が密生しているような場所でも潜り込んで産卵します。オオトラフトンボでは絶対にそのような環境では産卵を行いません。大きさが違うからなんでしょうか?
夕方、ハンノキの葉に飛来して卵塊を作る♀ 26/6/1996 北塩原村
トラフトンボの産卵行動は見ていて人情味を感じます。上述のとおりトラフトンボの♀をキャッチするところは見ていませんが、オオトラフトンボと異なるのは周辺の立ち木の梢で交尾した後に、水辺に交尾態のまま飛来することでです。ペアは岸部の水際をゆっくり飛び回りながら、まるで♂はここで産卵したらと♀に促しているようで、♂が気に入った場所で♀を離します。♀は従順にしたがう場合はその近くの植物に止まってオオトラフトンボと同様に大きな卵塊を作りだします。しかし、しばしば、余計なお世話とばかりに♂から離れるや否や、バビューンと飛んで行ってしまう♀、あっけにとられたように見送る♂。あんたにはいちいち指示されるのはまっぴらよ、とでも言っているような♀の行動で、まるで私やあなた(男性)の場合を見ているようではないですか!
今シーズンはかないませんでしたが、ぜひ、産卵行動を写真に収めたいです。
縄張り飛翔するトラフトンボ 18/5/2021 郡山市
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