サナエモドキ
この名前に懐かしさを覚える人は、60代以上の方々でしょうか。なんともおかしな呼び名です。昭和30年代までの図鑑にはそう記されていましたから。この頃はテレビの「マグマ大使」でも人間モドキなんかが出てきたり、結構ちまたでモドキの名が付いたものが多かったように思います。
ホンサナエという名が一般的になったのはいつごろからでしょうか?そもそもサナエモドキの名について調べてみると、石田省三さんが 1969年に書いた 原色日本昆虫生態図鑑Ⅱトンボ編によると、「最初はオオサナエ(アオサナエのこと)に似たトンボということでオオサナエモドキと名づけられたが、戦後はサナエモドキの名で呼ばれた。しかし朝比奈博士はこれをGomphus 属の摸式種であるG. vulgatissimus に最も近い種であるとの理由でホンサナエと改称された」とあります。朝比奈博士は多分、新昆虫あたりで述べていたのかもしれません。
さて、このホンサナエの学名は長らく属名がGomphusであったわけですが、尾園さんたちの「日本のトンボ」あたりでようやくShaogmphus に変更になったようです。意外に気づかずGomphusを使っているケースもまだ多いようです。現在多くの方々は「日本のトンボ」を参考にされることが多いので、いずれ日本産トンボからは Gomphus の表記が完全に無くなってしまうでしょう。
つづく
5月25日投稿
先に戦前(戦後、昭和30年代ぐらいまで)は、アオサナエをオオサナエと和名でいうことを述べましたが、アオサナエの記載 ( Oguma, K. 1926 The Japanese Aeschnidae. Insecta Matsumurana. 1 (2): 78-100. )を読んでみると、命名者の小熊博士は確かにアオサナエを新属・新種として記載して、和名をオオサナエと記述していますが、同じ論文の中でGomphus postocularis を同じくオオサナエとしていて、これはどういうことなのでしょう。すでにオオサナエの和名はホンサナエについていたのではないでしょうか?おかしいですね。これ以降に訂正してオオサナエモドキにしたのでしょうか?
今、旬のホンサナエの生態と写真を載せようと思っていたところ、変なところに引っかかってしまい先に進めません。オオサナエモドキとサナエモドキそしてホンサナエの和名の変遷はモドキという懐かしさにつられ、思わぬ方向に話が展開しそうな雰囲気です。
つづく
5月26日投稿
今ホンサナエは最盛期!「懐かしさのあまり和名の思わぬ方向の・・・」、などと悠長なことを言っている状況じゃなかったのです。トンボのシーズンは堰を切ったように押し寄せてきます。すでにコヤマトンボも飛び出しました。
頭の中で言ってます。さっさと今年観察しているホンサナエの生態を書かんかい!と。
観察している河川について
郡山市郊外の丘陵地帯を流れる河川で(写真上)です。3面がコンクリート打ちになっていますが、ご覧の通りヨシが密生していて、その間に太い流れができています。ところどころに小規模の河原があって、流れに石が露出して瀬の状況を作っています。こういう場所に本種が多産しています。
この河川は約30年前に氾濫防止と農業用水を得るために大規模な河川改修がおこなわれ、各所に堰が作られて、そこから分取する水路が河川に沿って設置されました。完成当時はヨシや植物もなく河岸はコンクリート壁と、ホンサナエの生息は大変厳しかったと思います。このままの状況が続いたなら、きっと流水性のトンボの生息は出来なかったと思います。もちろん自然流下する大量の土砂や岩などは次第に堆積し、河岸に沿って陸地を形成し草地が出現するでしょう。しかし、たいてい洪水によって常にリセットされてわずかに育った植物は流されると思います。そもそも、流下する水に含まれる自然界由来の窒素量(全窒素)はわずかです。
ところが、水田地帯を流下する河川の場合は、田植え時期に大量の代掻き水が地域で一斉に、河川に排水されます。この代掻き水(田面水)には代掻き直前に散布した肥料成分量の70%(ほとんど無駄に川に流している状態)が含まれ、同時に排出されるこれまた大量の田面土壌と共に河川に流れるのです。こうして栄養豊かな田んぼからの土が河床の土砂とともに堆積して、栄養食いのヨシの大繁殖をまねいています。ある程度ヨシが育つと、がっちりと根が河床を支え、少々の洪水でもびくともしません。そしてますますヨシが生い茂るという事になります。
こうして全国の水田地帯を流れる河川では、ヨシが水田からの養分を得ながら大繁栄しているわけです。幸か不幸か、水稲栽培のためにいったん失われた生息地は、再び水稲栽培のおかげで復活したのです。私が毎日通う、ホンサナエの川はそうした河川の典型です。
福島県中通り地方では本種の羽化は5月の連休明けです。流水性のサナエトンボの中では最も早く羽化します。
5月24日の観察
ホンサナエを日中観察していると、多くが河岸のコンクリート部分や川の中の石などにまばらに静止していて、特段、川面を飛ぶことはありません。時折他のオスとつばぜり合いをします。そして稀に飛んでくるメスを追いかけたり、場合によっては交尾します。メスの訪れは多くありません。至ってのんびりした風景です。
ところが、時間が午後3時を過ぎて4時を回ると、川面の状況が一転します。どこからともなく現れた多数のオスが入り混じって、止まる石(縄張り)を巡っての激しい競争が急に湧き起こります。午前中、あんなにのんびりと石に止まっていたことが嘘のようで、入れ代わり立ち代わり、次々にオスが現れては空中戦の繰り返しとなります。石に止まっても数秒後には迎撃に飛び立ち、行方も分かりません。この乱戦ぶりは5時を過ぎるとますます激しくなり、3、4頭が連なって飛び回ることも多くなります。止まっても翅を小刻みに震わせ、完全に興奮状態に陥ってます。午前中には見られなかった行動です。
激しく飛び回るオスたち05/24 2022 pm 17:00頃
激しく飛び回るオスたち05/24 2022 pm 17:00頃
16:30を回ると、オスたちが夢中になっている隙をついて、メスが相次いで飛来するようになりました。しかし、そのほとんどが産卵ポイント手前の空中でオスに捕捉されて、リング状態となってかなり遠方に飛び去りました。それでもオスたちの監視を逃れ、産卵ポイントの近くまでたどり着くメスもいて、ヨシの葉に取付いて早速卵塊作りを始めます。
中には4頭のオスが見張っている産卵ポイントでオスが止まっている石の背後のヨシに、水面すれすれに飛来して卵塊をつくるメスもいて、雄たちは見ているようで実は全然見ていないこともあるようです。
なぜ水面に落下するのか?
ここで気になったことがあります。飛来した多くのメスは産卵場所付近の空中で監視中の雄に捕捉され、連れ去られます。一方、産卵ポイントで水面に落ちて交尾態となって雄に引き上げられてから飛び去るペアもいることです。
たまたま産卵ポイントで産卵飛翔(水面すれすれに、産卵ポイントを広く目で追えるスピードで飛ぶ)したメスが捕捉され水面に落ち、オスに引き上げられた直後を後ろから写真に捉えたものがありました。それを見ると卵塊がありません。昨年、このブログでオスがメスを捕える際に、水面に落下して溺れることを述べました。なぜ、一歩間違えば死んでしまうようなことをするのだろうと。
今回この写真を見て、もしかすると水面への落下はメスが自らの意思でおこなっているのではないかと思いました。落ちて卵塊を水中に放卵してしまうために・・・。などということは考えられないでしょうかねー。
どちらのケースも採集すればわかっかな?
翌25日の観察(アオサナエ現る)
この日も16時30分ころからオスの活動がさらにヒートアップしてきました。16時40分、混戦のオスの中に、1頭のアオサナエがいることに気が付きました。アオサナエは多数のホンサナエに圧倒されることなく、いつの間にかホンサナエが常駐する石を占有しています。ホンサナエが近づくと、尾部を大きく反らして存在を示します。面目ないのですが、アオサナエの腹部7-9節の下面がオレンジ色だったことに初めて気が付きました。一瞬の出来事でなかなか写真に撮れません。アオサナエもホンサナエの騒動に巻き込まれ、全く落ち着きません。その時です。ホンサナエとアオサナエが空中で絡み合って水面に落下しました。急いで駆け寄ってシャッターを押しましたが、あと一歩近づけませんでした。水面から飛び上がった姿はホンサナエがアオサナエに交尾しようと尾部付属器でアオサナエのオスの頭部を挟もうとしているようでした。しかしすぐに離れ、アオサナエは驚いたのか飛び去ってしまいました。この時を境に、複数のアオサナエが次々にホンサナエの活動の場に入り込み、主要な石を占拠してしまいました。
やはりオオサナエはオオサナエモドキより強いのでしょうかねえ。この様にアオサナエと入れ替わる時がはっきりしているのでしょうか。何かいっぺんに事が起きた感じです。この日以前にアオサナエは全く確認していません。17時30分すぎに今度はアオサナエのメスが次々に産卵に訪れました。産卵は18時20分まで続きました。
両種ともこの場を去ったのは18時50分でした。
この日を境にホンサナエは全く影が薄くなってしまいました。この川のホンサナエはいよいよ初夏のトンボに主役を譲ることになります。
1984年に中国のサナエトンボ研究の権威、Chao博士によって、肛三角室が4室より多く(実際には Gomphus 属にも4室以上ある種もある)、オスのペニス先端また生殖後鈎の形、さらに尾部付属器の形やメスの後頭部の一対の突起の存在などから、新たにShaogomphus 属が設けられました(Odomtologica 1984, 7:71-80.)。しかしこの新属は見た目、Gomphus 属のトンボとほとんど変わりません。
朝比奈博士は1985年の月刊むしNo169号 6-17.にて日本を含む東アジア産のGomphus属の再検討をおこなっており、この論文の中でヨーロッパ産の G. vulgatissimusとホンサナエG. postocularis (まだこの時点ではChaoの Shaogomphus を認知していない)それぞれのペニス先端また生殖後鈎を図示しています。これを見ると、Chaoが示したShaogomphus属のペニスの形はむしろG. vulgatissimusに酷似しています。また生殖後鈎もGomphus属の特徴を有していて(ただ前縁部に小さな突起がShaogomphus属にはあるが・・)、この辺が朝比奈博士をして「最近Chaoは中国福建省産の標本で Shaogomphusなる新属を建てたが、この問題については近く別文によって論じたい」と言わしめた根拠だったのかも知れません。
現在Shaogomphus属は東アジアからホンサナエを含む3種が記載されていて、どれも良く似ています。私もShaogomphusには少し違和感があって、結局Gomphusでいいんじゃねーかと思っていました。しかし、ここでも遺伝子解析による研究で、見事にその考えが打ち砕かれてしまいました。米国のWareらが2017年に発表した、「北アメリカのサナエトンボ科における系統発生的な関係とそれらの近縁関係」において、われらのホンサナエ(ChaoがShaogomphus属とした)は何と系統発生ではGomphus 属よりはるか以前に出現したことが明確に示されました(Syst Entomol. 2017, 42: 347–358.)。そういえばChaoは Shaogomphus 属を創設した際に、この属は古いサナエトンボ科の形質を保持していると記述していて、今思えば良くそんなことまで分かったものだと驚きました。前に戻りますが、朝比奈博士もその後Shaogomphus に関して論ずることはなく、Chao(1984)がShaogomphus 属を創設した時に、ホンサナエもGomphus属からShaogomphus 属に移される処置がされていました。
1984年に論文が発表されて以来、多くの文献でホンサナエをShaogomphus postocularisと明記するようになっていくのでした。それにしても、中国からはChao博士をはじめ、これまで数人の分類学者が活躍し、最近では、つまずいて骨折しそうな巨大中国トンボ大図鑑を世に出したZhang博士を筆頭に若手の研究者も育って、中国人研究者たちの海外への発信力がますます大きくなってきました。トンボの世界も中国勢の活躍が今後も目がはなせません。
引用文献
Ware j. et al., 2017. Syst Entomol. 42: 347–358.
Chao H., 1984. Odonatologica 13:71-80.