トンボと私
年をとってくると、なにやら人は昔を懐かしむことが多くなるらしい。97才になった伯母を施設に見舞った時に、ぽつりと、「でも、いろいろ楽しいこともたくさんあったからね。もう思い残すことは無いよ・・・」と。考えれば伯母は施設に入ってから長い。入所後、楽しいことがどれほどあったか、そう思うと、なるほど楽しい思い出の多さは人生の終末期において、残された日々を過ごす中でとても大切な事柄になってくるのだろう。
トンボは僕の生きがいの1つだ。トンボを好きになったのは自然の成り行きだった。母の実家は長沼町だ。家は釈迦堂川の近くにあって、城下町らしく、水路が集落のいたるところに張り巡らされていた。もちろん現在と違って、コンクリート護岸などはない。川岸にはいたるところに水草が茂り、夏にはそうした場所でカジカやヤマメをヤスで突いた。街中でこうした遊びができるところも、子供にとって魅かれるものがあったのだと思う。
遊び場はほとんどが屋外で、従兄と一緒にゴム動力の飛行機飛ばしや、ビー玉やめんこなどに興じ、夏休みは川での水泳に毎日通った。運命の出会いは川で泳いでいる時だった。水面に顔を出したその目の前を大きなトンボが水面すれすれを飛び去った。コヤマトンボであった。もっともこの名前を知ったのはずーとかなり後になってからだったが。
僕はその時のトンボの姿に心を奪われ、この時スイッチが入ったのだと思う。以後毎日、水泳などすっかり忘れて、このトンボの捕獲のために川に通った。なかなか採ることができなかった。ようやくトンボを仕留め、指に挟んだトンボをドキドキしながら見たら、その摩訶不思議で、思わず吸い込まれてしまうほど綺麗なグリーンの目玉や、金属光沢をまとう胸部と鮮やかなレモン色の紋。トンボへの興味は一気につのった。
夏休みになると東京から遊びに来た従妹を連れて、良く川にトンボ採りに行った。夏の青い空にもくもくと沸き立つ入道雲。そして彼女のかぶる麦わら帽子と、そこから覗く笑顔。僕はただ黙って一緒に田んぼのあぜ道を歩いた。
もう50年以上も前の思い出だ。施設や病院で最後を迎える時、どんな思いがよぎるのか、心に残るやさしい思い出であってほしいと思う。
家の前の庭を夕方になると良くコシボソヤンマが通り過ぎた大切な思いでの詰まった裏庭、カトリヤンマを見たのもここだ

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