2024年1月24日水曜日

生態学の理論を実証するアオモンイトトンボ(1)

夏井川のムスジイトトンボ
  夏井川は阿高地の最高峰大滝根山の南西麓を源頭とし、田村市、小野町そしていわき市を流れる2級河川(福島県内の浜通りに限って流れる)です。いわき市市街地を流れる夏井川は川幅や堤防も広く、てっきり1級河川だとばかり思いこんでいました。この流域には現在ここでしか見れないキイロサナエ、ナゴヤサナエおよびキイロヤマトンボが生息し、他にも県内では暖地性のアオモンやムスジなどのイトトンボ類が多く、トンボ屋にとっても外せない河川となっています。
 今回は夏井川河口付近のトンボを紹介します。ただここは海に近く、潮の干満の差が大きく、川の中を歩いている場合注意しないと戻れなくなる時があるので、満潮時間には注意が必要です。
 さて、河口の公園から川に入ると、名前は良く分からないのですが、オオカナダモのような藻の大群落になっていて、ここに多数のイトトンボが見られます。まず、早速ムスジイトトンボの♂が出迎えてくれます。このトンボは現在相馬市、いわき市、矢吹町さらに白河市(未発表)から知られていて、決して生息地は多くありません。最近は近畿・東海地方内陸部さらに関東北部の内陸部へ分布が広がっているようで、温暖化の影響を指摘する人も多いようです。白河市や矢吹町など福島県でも同様な理由で内陸部への分布拡大が起きているのかも知れません。ただ、生息地としてはどんな池沼でも良いというわけではなく、その条件に産卵基質となるオオカナダモやコカナダモさらにアオミドロなどの水中植物や藻類が繁茂していることがあげられます。夏井川河口では多産するセスジイトトンボと混生しますが、個体数は少なく、1/5ぐらいの比率だと思います。
                    
                  河口ではベンンケイガニがちょっかいを出してくるから油断できない
                           
                個体数は少なく、多産するセスジイトトンボと紛らわしい
                     
      水面の植物に器用に止まって交尾するムスジイトトンボ、ここでは水面に降りて交尾するのが多い
      
      ムスジの産卵のはずが、どこで入れ替わったのかいつのまにかセスジに


(1)アオモンイトトンボの遺伝的多様性
 夏井川でもう1つ目につくトンボにアオモンイトトンボがあります。アオモンイトトンボはムスジイトトンボより、より浜通り地方に分布が限られるトンボで、まだ福島県内陸部での生息が確認された例はなかったと思います(調査不足だとも思いますが)。「日本のトンボ」を見る限り東北地方の北限は宮城県の石巻市・気仙沼市あたりになっています。古く「宮城県のトンボ」では1969年の記録で石巻市富士沼がありますから、当時から分布が北上している気配はありません。暖地性のアオモンイトトンボの分布が近年の温暖化にもかかわらず大挙して北上しないのはなぜか、何が作用してその種はそれ以上北上しないのか?
 
 ところで、アオモンイトトンボは広くアフリカから中東、南アジア、東南アジアそして東アジアと極めて広大な地域に分布しています(津田, 2000)。てっきりいくつかの亜種にでもわかれていると思っていましたが、今のところ Ischnura senegalensis のみのようです。 
 しかし、このほど中国の Bin Jiangら(2023) が世界各地のアオモンイトトンボにおけるミトコンドリアDNAのハプロタイプ*を調べたところ、大きく4つのグループに分けられると報告しました(ミトコンドリアDNAのハプロタイプ分析は同一種内における地域個体群の遺伝的分化(多様性)の解析に広く用いられる手法だそうです)。

    
       ミトコンドリアDNAのハプロタイプからみたアオモンイトトンボのグルーピング
                             Bin Jiang et al., (2023)より

 詳しく見てみます。世界各地約500個体を調べると51個の異なった塩基配列(ハプロタイプ)が検出できたそうです(下のハプロタイプネットワークを参照)。出現頻度でそれらを見るとアフリカ、アジア、琉球諸島そして日本の4つの大きなグループに分かれることが分かりました。アフリカ地域はハプロタイプHp_1(赤の円)1種類のみでまとまっています。これに対して、最も出現頻度が大きかったアジア大陸部のHp_3には中国・インド・東南アジア・日本等の7地域ごとの多数の塩基が混合したものが見られ、一方、日本と南西諸島(琉球列島)では、日本はただ1つのハプロタイプから成っていて、また南西諸島は大陸からの遺伝子流動を受けず、独自のハプロタイプを有することが明らかになったと報告しています。

                  
                アオモンイトトンボのハプロタイプネットワーク図                  
                      Bin Jiang et al., (2023)より
       左上の色が付いた円は個々の地域を示す。色が付いた円の大きさは個体数(出現頻度)の多さを 
       示し、多ければ大きな円になる。Hap_は分析できたハプロタイプ、直線は類似するハプロタイ 
          プ間をつなぐ、数字入りの○はハプロタイプ間で起きた塩基置換回数. 

 Bin Jiangらは南アジア、東南アジア~中国に最も多くみられるハプロタイプHap_3に注目して、多様性がこれほど高くなった理由は広域に行われている稲作にあると推定しています。アオモンイトトンボはこれら地域の水田地帯に普遍的に生息していて、地域を越えた移動があるためではないかと述べています。一方、アフリカはアジアを繋ぐ地域が広大な乾燥地帯であったり、また海峡であったり地理的な障害がその移動(遺伝子流動)を妨げている可能性があると述べています。さらに、南西諸島・日本では海が遺伝子流動を妨げ、特に南西諸島では地理的な隔離によって独自の遺伝子構造に進化したものと推定しています。
 この研究も、前にハッチョウトンボのところでも述べた、日本のつくばにある農環研ジーンバンクのデータがあったからこそ成り立ったようなもので、彼らは中国国内でアオモントンボを集めたにすぎません。ジーンバンクはまさにその機能を大いに海外の研究者に開放していて、数多くの成果が生まれています。日本の研究者(チョウやコウチュウは結構やってる)でもこうしたグローバルな研究を行う人たちがたくさん出て、海外勢にまけない活動をしてほしいものです。一方的に利用されっぱなしては情けない。もう少し、分類やるにしても、分子生物学的な手法が使えて、知識があるなら、日本人(特にトンボに限って)も国内はもういいから、もっと世界的な視野に立った発想ができないものかと。
                      
                      夏井川で普通に見られる♂型メスとの交尾
             
                     
              獰猛なアオモンのメス、ムスジのペアに襲いかかる
                          
            本来天敵のアメンボを襲って食べるメス、すでに腹部のほとんどは食べられてしまった
                         
                        ♂型メスの産卵
                     
          
       この地域では数が少ない暗褐色のメス

          *ハプロタイプ
                     東京都医学総合研究所ホームページからの図を一部改変 

人の例:父母それぞれ1対ある対立遺伝子の塩基配列をハプロタイプ(父方の場合は赤で指した部分)と呼び、遠縁ほど塩基の組み換えが多くなる

引用文献
Archives of Insect Biochemistry and Physiology, e22015. https://doi.org/10.1002/arch.22015


 





                      










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