もう1つの論文
文献 A.V. Mglinets et al. ( 2025)では、前回同様に核DNAの分析にヒストンH3-H4領域の配列を用いた系統解析をトンボ類でおこなったところ、この新しいマーカーはトンボの分子系統分類においても有効性を示し、アカトンボ類において新知見を得るとともに既往の研究結果をさらに支持するものになった。と述べています。
一つ目はキトンボ Sympetrum croceolum の塩基配列はオオキトンボ S. uniforme のそれに完全に内包していてキトンボはオオキトンボの単系統的子孫と考えられると述べています。
もう1つはスナアカネ S. fonscolombii です。本種は他のSympetrum 属の各種から大きく分岐していることが明白に示されました。このことは Pilgrim & von Dohlen (2012) の研究結果と合致していて、スナアカネは アカトンボSympetrum 属から新属に移されるべきだとしています。
これについてはかつてSchmidt (1987) が、スナアカネは他の Sympetrum 属と違って、移動性が極めて大きく、分布がヨーロッパ、アフリカ、中央アジア、インドさらに一部極東まで広がっていることや、その形態的特徴からTarnetrum 属に移すべきだと提唱しましたが、記載はされていませんでした(最もこの考えは、Pilgrimらの分子系解析でスナアカネがTarnetrum 属に近縁でないことが明らかになって、現在は否定されています)。
こうしたことから今回の結果を踏まえて、ヨーロッパの研究者がスナアカネ近々新属で記載することは間違いないでしょう。まあ、とにかくスナアカネはアカトンボの仲間ではない、全くの別物だということです。
余談ですが、最初にスナアカネはアカトンボの仲間でないと1987年に論文を発表したSchmidt氏 は、Erich Walther Schmidt 博士のことで、当時の西ドイツのボンにあるライン・フリードリヒ・ヴィルヘルム大学の教育学部の教授でした。しかし、2年後の1989年8月に自宅近くで自動車事故によって亡くなってしまいました。博士は独身で、孤高のトンボ学者としてヨーロッパを代表する分類学の重鎮でした。そんな博士は朝比奈正二郎博士と親交が深く、朝比奈博士はしばしば彼の自宅に滞在して、各地の博物館所蔵の標本を調べたそうです。また2人でいる時には夜遅くまでトンボ談義に花が咲いたそうです。博士は意外にも自室にピアノを置き自らクラシック曲を弾くロマンチェストでもあったと言います。彼の死後、その遺言に従って、貴重なコレクションは朝比奈博士に送られ、現在は筑波の科博にシュミットコレクション(マダガスカルのトンボはかなり貴重だと思います)として大切に保管されています。
ところで、スナアカネの長距離移動についてはかねてヨーロッパで関心が高く、最近では安定同位体比を用いた研究なども行われています。近年行われた水素安定同位体を用いた調査ではロシア・ヨーロッパには春から夏にイランなど南西アジア地域から成熟虫が飛来して、その子孫は晩夏・秋に今度はもとの南西アジア方面に越冬のために回帰飛翔し、それらは2000km、最大で4000Kmも移動すると言います( Sergey N. et al., 2020)。仮に2000kmとすれば、西日本からだと、北はロシアはハバロスクのはるか北、西なら中国北京のはるか西方にあたります。
本やブログ等によると本種は飛来種で、大陸あるいは南方から飛来すると記述されています。最近は南西諸島では越冬が認められたり、目撃例が増えています、でも南方方面からの飛来と言ってもどこから来るのでしょう?遠くインドシナ半島での記録は多分なかったと思います。香港や台湾での記録も以前はそれ自体が話題に上るほど稀ですから、もしかすると南まわりのルートは可能性は低いかも。ミャンマー東・南部やタイ、ベトナムあたりで多数確認できれば可能性はあると思いますが。どうでしょう?
Sergeyらの論文のスナアカネの分布図をお借りして示すと、インド洋から南・東シナ海に面する地域からは記録がほとんどないことが分かります。一方、ロシア極東地域一帯、例えばウラジオストック付近から日本海沿岸にかけて2015年にはかなりの個体が見られ、定着しているようだという報告(Onishko, 2019) もあり、急速に極東地域全般に本種が見られるようになったとも述べています。このような状況をみれば、大陸北部(中国)ロシア沿岸部から本種が飛来している可能性も疑う必要があるでしょう。
スナアカネの分布図(Sergey N. et al., 2020 より転載)
白枠は研究対象地域
この図を見て、東アジアでの記録が少ないことの理由をいろいろと考えてみると、➀観察者の数が少ないため、②物理的障害がある(例えばチベット高原や天山山脈)③そもそも東に向かう気が無い、④たまたま気象条件によって数千キロ運ばれたなど、など。
やはり中国やロシアの状況が分からない限り、この問題は解決できないと思います。あまりにも情報が少なすぎます。
文献
A.V. Mglinets et al. ( 2025), A new molecular marker including parts of conservative histone H3 and H4 genes and the spacer between them for phylogenetic studies in dragonflies (Insecta, Odonata), extendable to other organisms. Vavilov J. Genet. Breed. 29 (6): 868-882.
E. Schmidt ( 1987 ) Generic reclassification of some westpalaearctic
Odonata taxa in view of their nearctic affinities
(Anisoptera: Gomphidae, Libellulida) . Adv. Odonatol. 3 ; 135-145.
Onishko V.V. ( 2019 ) New records of dragonflies (Odonata) for Russia, with notes on the distribution and habitats of rare species. Evrasiatskii entomologicheskii zhurnal, 18: 222-230.
Pilgrim E.M., von Dohlen C.D. (2012) Phylogeny of the dragonfly genus Sympetrum (Odonata: Libellulidae). Org Divers Evol. 12: 281-295.
Sergey N., et al. (2020) Isotope evidence for latitudinal migrations of the dragonfly Sympetrum fonscolombii (Odonata: Libellulidae) in Middle Asia. Ecological Entomology 2020: 1-12.
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