日の丸ハッチョウトンボの最新の学名は?
ハッチョウトンボ Nannophya pygmaea の分類について、昨年、大きな動きがありました。まだ最新の図鑑にもこの内容が反映されていないため、多くの人がこの事実を知らないままであるように思います。笹本・二橋 (2021, 月刊むし 603: 37-50) がこのことについて国内で最初に報じていますが、あまり詳しくは触れていません。内容は非常に重要なので、改めて取り上げてみました。その内容を述べる前に、ここで一度世界のハッチョウトンボ属の現状について見てみましょう。
Nannophya Rambur, 1842
Nannophya australis Brauer, 1865
Nannophya dalei (Tillyard, 1908)
Nannodythemis dalei Tillyard, 1908
Nannophya fenshami Theischinger, 2020
Nannophya katrainensis Singh, 1955 (doubtful species)
Nannophya koreana Bae, 2020
Nannophya miyahatai Yokoi, Souphanthong & Teramoto, 2020
Nannophya occidentalis (Tillyard, 1908)
Nannodythemis occidentalis Tillyard, 1908
Nannophya paulsoni Theischinger, 2003
Nannophya pygmaea Rambur, 1842
Syn Fylla exigua Kirby, 1889
Syn Nannodiplax yutsehongi Navás, 1935
Paulson&Schorr (2021)より
このリストからハッチョウトンボ属は、現在9種が南アジア、東南アジア、東アジアそしてオーストラリアから知られ、このうち5種はオーストラリアの固有種です。リストにあるNannophya katrainensis (インド産)はその記載文を見ると、明らかな同定ミスなのでこのリストからは除外すべきでしょう。したがって、世界のハッチョウトンボ属は現時点で8種から構成され、オーストラリア以外では、3種のみが南アジア~東アジアに分布しています。
さて、ハッチョウトンボ Nannophya pygmaea は南アジア、東南アジアおよび東アジアの極めて広い地域に分布していて、その地域ごとに胸部、腹部の色彩が異なることが知られていました。そのため、かねてから、それらは別種か亜種の関係にあるのではないかと考えていた人は少なからずいました。しかし、この問題を改めて検討するには大きな難問が控えていました。一つはタイプがどこで採集されたのかが分からないという点です。一応、東南アジアのどこかであることは分かっていましたが、はっきりしません。もう一つは、これが最大の問題です。pygmaea のタイプはメスで、その標本はすでに失われていることです。そのために今改めて各国の変異に富むメス個体をまんべんなく収集して、その形態的差異を見出すべく検討することは、膨大な時間と経費から、事実上不可能なことなのです。
ところがこうした中、突如2016年にマレーシアの Low らが各国の Nannophya pygmaea のDNA解析をおこなって、これまでのpygmaeaがおおよそ4つの種レベルのグループに分けられると報告したのです1)。この論文では、自国のサンプル以外は日本のDNAバンクにある各国のハッチョウトンボのDNA塩基配列データソースを使用して研究されており、論文では日本のpygmaeaは韓国と同じグループに含まれるとしました。また、中国やボルネオのpygmaeaもそれぞれ異なるグループなので、古くpygmaeaのジュニアシノニムとして扱われてきた中国とボルネオ産ハッチョウトンボの種名が復活する可能性を示唆しました。平たく理解するならば、日本産ハッチョウトンボは、韓国産と遺伝子レベルで同種で、学名はpygmaea ではなく、名無しの権平状態にあるということなのです。
ことはさらに進んで、2020年に今度は韓国の研究グループが同様の研究を行い、N. pygmaeaは3つのグループに分けられるとしました。さらに同じグループの日本と韓国のハッチョウトンボの形態を比較したうえで、完全に同種であると結論して、両国のハッチョウトンボをNannophya koreana として新種記載したのです2)。この学名は命名規約上問題はありませんから、一番上のPaulsonらのリストにも Nannophya koreana として登録されるに至ったのです。したがって、日本のハッチョウトンボはこれまでのNannophya pygmaeaではなく、今後、学名を表記する場合、韓国の研究者が命名したNannophya koreanaを当てなくてはならなくなったのです。和名もカンコクハッチョウトンボとでもなるのでしょうか?
この分子系統分類の目覚ましい進歩はこれまで、実現が難しいとされた問題も軽く突破していく可能性を、このハッチョウトンボ問題でまざまざと示したといえるでしょう。今回の研究ではいずれもが、日本にあるDNAデータが使用されました。現地に行ったこともなく、現物を見たこともない研究者が、トンボのDNA情報をパソコン上で、簡単に検索できDNA塩基配列情報をダウンロードして比較検討できる国際DNAデーターバンク(日本DNAデータバンクやアメリカのGenBank等)はすばらしい研究システムですが、同時に思わぬ時に思わぬ人たちによって、全くこれまでの既成概念を打ち壊すような成果が突如として公表される可能性があることを知るべきでしょう。
今回の件について、Lowらはどうやって、何をきっかけにハッチョウトンボの分類学的な問題を知って、研究をおこなったのか非常に興味が持たれます。彼らの研究は完全にハッチョウトンボの分類の盲点を突いた研究だったからです。
1) Low, V.L., M. Sofian-Azirun and Y. Norma-Rashid. 2016. Playing hide-and-seek
with the tiny dragonfly: DNA barcoding discriminates multiple lineages of
Nannophya pygmaea in Asia. Journal of Insect Conservation 20:339-343.
2) Bae, Y.J., J.H. Yum, D.G. Kim, K.I. Suh and J.H. Kang. 2020. Nannophya koreana
sp. nov. (Odonata: Libellulidae): A new dragonfly species previously
recognized in Korea as the endangered pygmy dragonfly Nannophya pygmaea
Rambur. Journal of Species Research 9(1):1-10.
愛らしいハッチョウトンボ Nannophya koreana のオス 会津若松市 Nannophya koreana のメス 同
ラオス南部のハッチョウトンボの1種. 日本産と同じ pygmaea でしたが、違いますよね
特にメスなんか日本産とはかなり違う感じ